●コーラン
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イスラームの聖典。Koran はその英語なまりの読み方。「クルアーン」とはもともと「読誦されるもの」「読誦」という意味のアラビア語。イスラームでは,預言者ムハンマドに下された神のことばが集録されたものと信じられている。ムハンマドが神の啓示を最初に受けたのは610年とされているが,その後632年に死ぬまで,預言者として宣教したメッカで,また政治家としてイスラーム共同体(ウンマ)を創設したメディナで,その時その時に神の啓示が下ったとされている。彼のサハーバ(教友)が記憶していたその啓示を第3代カリフ,ウスマーン(在位644〜656)のときに集録したのが『コーラン』である。【『コーラン』の構成】ウスマーンのときに結集された『コーラン』は,そののち改編されず受け継がれていったので,現在われわれがみる『コーラン』は結集当時の形をそのまま残していると考えられる。『コーラン』は全体としてほぼキリスト教の『新約聖書』と同分量のものであるが,全部で114章(スーラ)に分かれ,各章がいくつかの節(アーヤ)から成っている。各章の冒頭についている名前はその章の主題ではなく,単なる呼称にすぎない。たとえば,第2章は「雌牛」であるけれども,その67前以下に『旧約聖書』の民数記第19章にみえるモーゼにまつわる雌牛のいけにえの物語が出ているだけで,第2章全体とは何の関連もない。もともと『コーラン』の各章には一貫した話の筋などはない。また各章の長短もまちまちである。第1章の7節を除いて,第2章が286の節,第3章が200の節,第4章が176の節というように,後になるほど節の数が減少し,最終の第112章では4,第113章では5,第114章では6といったごく少数の節になっている。節自体の長さをみると,最後の各章では1節が5か6の語で構成されているのに,第2章では長い節になると100語以上にもなっている。どうやら『コーラン』は長い章から順次短い章へと配列されているようである。
【『コーラン』の神の啓示】ここで問題となるのは,神の啓示がムハンマドに下ったとき,はたして各章がまとまった形で啓示されたのか,またその啓示がそれぞれ具体的にどのようなときに下ったのか,といったことである。この問題を解きほぐす手がかりを見つけるために,『コーラン』の文体について考えてみる必要がある。ムハンマドが最初に受けた神の啓示の一つは『コーラン』第74章1〜7節であるといわれているが,ローマナイズすると次のようになる。
1.Ya aYYuha l-mudaththir
おお 外衣を纏う者よ
2.qum fandhir
起きて 警告せよ
3.wa rabbaka fa-kabbir
汝の主を 讃えよ
4.wa thiYabaka fa-tahhir
汝の着衣を 清めよ
5.wa rrujza fa-hjur
不浄なものを 避けよ
6.wa la tamnun tastakthir
与えるな 余分の報酬をと思いながら
7.wa li-rabbika fa-sbir
汝の主のために 耐え忍べ
各節が2語から4語の短い句で,最後の語はすべて-irで押韻され,一節一節が力強く投げつけるような口調である。またこの啓示と同じ初期のものには意味の不明瞭な句が多く,〈つつみ隠す夜にかけて,輝きあらわす白昼にかけて〉(第92章)とか,〈いや,わしは復活の日にかけて誓う,いや,わしは責め抜く心にかけて誓う〉(第75章)といった一定形式の誓言文が章の冒頭にくる。このような文体は明らかにサジュー体と呼ばれる押韻散文詩のもので,古いアラビアの占巫(カービン)が神がかりの状態で神々のご託宣を口走るときのものと同じである。〈いや,これこそ讃えあるコーラン。天に保管された銘枚に書かれているもの〉(第85章21・22)とあるように,『コーラン』の原本ともいうべきものが神の手もとに保管されていて,これを天使ガブリエルを通してムハンマドに神が読み聞かせたと信じられているが,「読誦されるもの」の意味通り,声を出して誦するのが『コーラン』そのものなのである。初期のサジュー体の章句には,朗読する詩のような美しい音楽的響きと同時に,短くぶっつけるような力強さがある。この章句がしだいに長くなってくると,詩的力強さはなくなり,しだいに散文形式に変わってゆく。ただ各節の最後の語尾はunaとかina・imなどの脚韻で結んでいる。しかも一つの章のなかで脚韻が数節まで同じであったものが,次の節から違う場合が多い。たとえば,第80章では,1節から10節までが-aの脚韻であったのが,11節から16節まではtu,-tinの脚韻となり,17節からは-huの脚韻になるといった調子である。つまり同じ脚韻のものが数節ずつまとまって,それがいくつか集まって章を構成するようになっている。また『コーラン』の章句を注意深く読んでゆくと,[1]サジュー体によって代表される短い章句では,神の唯一性・神の力と慈悲,ムハンマドの預言者たることの一方的な宣言,[2]ムハンマドの宣教への反対者に対して反論するといった形式の章句,[3]ムハンマドの預言者たる主張を立証するために引用された『旧約聖書』『新約聖書』からの,またアラビア独自の伝説からの預言者物語,[4]イスラームの儀礼や社会生活に関する諸規定,[5]ユダヤ教徒やキリスト教徒に対する教義論争などごく大まかに分類することができる。以上のような『コーラン』の章句にみられる同じ脚韻群から判断して,比較的短くまとまった語句の形で記憶されていたものが集録され,その結果長くなった章から順次配列して『コーラン』ができあがったと考えられる。ある伝承によれば,カリフ,ウスマーンの結集以前に,第1代カリフ,アブー=バクル(在位632〜634)がウマルの進言を容れ,ザイド=ビン=サービトに命じ,羊皮紙や石片,なつめやしの葉,動物の骨などに書き残されていた啓示を集めさせ,また教友たちの記憶を聞きとらせ,それらを記録して第1回の編集を終え,原本はカリフが保管し,複写本も作製して信者のあいだに配布したといわれている。この伝承の真為はともかく,集められた章句は短くまとまったものであったことが,その書写材料からもうかがえる。それから,サジュー体の前述の[1]が最も早いメッカ初期の啓示で,[2]と[3]は文体もかなり散文的に変化してきた段階のメッカ中期から後期のもの,[4][5]になると,イスラーム共同体成立後のメディナ期の啓示と考えられる。『コーラン』各章の冒頭にメッカ啓示とかメディナ啓示と明記されているが,これは必ずしもその章の啓示時期を示すものではない。おおよそ文章の長い第2章が最も新しく,後になるほど古い啓示と考えられるが,同じ章のなかでも各節の啓示された時期がかなり錯綜しているようである。啓示の年代決定は信仰の問題ではないが,ムハンマドの歴史的研究には,とくに関心のもたれる問題であった。テオドル=ネルデケの『コーランの歴史』(1909〜1938)やリチャード=ベルの『英訳コーラン』(1937〜1939)はこの問題に関する画期的研究で,今後もさらに検討を要する。『コーラン』の年代記的分析はさておき,ムスリムにとってこれこそ神のことばなのである。事実,神が直接ムハンマドに語りかける表現がとられている。「われらは」と一人称複数形で語りかけるのは神御自身であり,ムハンマドには「汝」と呼びかけている。神に帰依することは『コーラン』のことばに忠実に従うことで,『コーラン』こそムスリムの判断や行動の基準であり,生活のすべてのよりどころである。その内容を拾い上げてみると,メッカ期の啓示としては,神の唯一性・神の慈悲と全能・天地万物の創造主・死者の復活と神の審判・天国と地獄の生き生きとした描写・ムハンマドの預言者たることの確認・過去の預言者物語などがあり,メディナ期では,礼拝・断食・巡礼・ハラームなどの宗教儀礼的・道徳的規範から,イスラーム共同体内の法的規範,たとえば結婚・離婚・扶養・相続・売買・刑罰・ジハードなどの規定が含まれている。このような『コーラン』の諸規定を,ムハンマドのスンナ=ハディース(伝承)で類推し解釈を広げて,それを大系化したのがシャリーア(イスラーム法)である。
〔参考文献〕井筒俊彦訳『コーラン上中下』(改訳版)1964,岩波書店
藤本勝次・伴康哉・池田修訳『コーラン』1970,中央公論社
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