●コモンウェルス
ヨーロッパ ヨーロッパ AD
本来は公の,すなわち社会(国民)全体にかかわる福祉という意味であり,その最初の用例は1470年ごろに見出される。それから転じて次のようなさまざまの意味で用いられるようになった。[1]一民族あるいは一国家を構成する人民の総体,もしくはそのような政治体。国家といっても間違いではない。16世紀に盛んに用いられた用法で,16世紀の中ごろにコモンウェルス=マンと呼ばれる人々が現れている。人間の貪欲を攻撃し私利に対してコモンウェルスの擁護を志した人々であり,囲い込みとか金利をとることなどを激しく攻撃した。この場合のコモンウェルスは公の福祉の意味であると同時に,また社会・国家の意味である。なお彼らはエドワード6世の摂政サマセット公(トマス=シーモア)の政治を助けることを任務としており,ロバート=クローリーを代表者とする。ヒューマニストの系譜に属し,エラスムス・トマス=モアを始祖とする。宗教については改革派が多い。[2]人民が最高権力を掌握する国家。すなわち君主政・貴族政の国家に対して共和政・民主政の国家を意味する。早くもその用例が1618年に現れた。[3]1649年(チャールズ1世処刑の年)から1660年(王政復古の年)までのイギリス共和政がコモンウェルスと呼ばれる。残部議会は貴族院と君主政を廃止したのち,イギリスは「コモンウェルス(共和国)にして自由国」なる旨を宣言した(1649年5月)。ただし狭義ではクロムウェルによる護民官政(プロテクトレート)が始まる(1653年12月)までの期間とされている。[4]第一次世界大戦後における新しい用法で,“イギリス連邦”が意味されている。略さずにいえば“ブリティシュ=コモンウェルス=オブ=ネーションズ”である。イギリス本国とかつての大英帝国から独立した諸国が,相互に平等の立場で自発的に協力する組織体である。1937年のウェストミンスター条令で加盟諸国の独立性について法的根拠が与えられた。第二次世界大戦前の白人自治領諸国から成るそれを“第一連邦”,第二次世界大戦後に独立した有色人種の国々を加えたものを“第二連邦”と呼ぶこともある。現在の構成国は44カ国,ヨーロッパにあるのはイギリス・マルタ・キプロス,その他はアジア・オセアニア・アフリカ・アメリカにわたって散在する。イギリス女王が連邦の頭首に認められている。