50音順    語句から検索する

●コメコン COMECON

ヨーロッパ ヨーロッパ AD 

Council for Mutual Economic Assistanceの略。経済相互援助会議といわれ、1949年1月ソ連と東ヨーロッパの共産圏で、西側のマーシャル=プランに対抗するものとして設立された経済協力機構の略称。

【冷戦の接近】第二次世界大戦を共に戦ったアメリカ・イギリスなどとソ連は、戦争の終了とともに対立を深めていった。冷戦が近づくのは、1947年1月、ソ連の共産主義勢力が地中海に及ぶことをおそれたアメリカのトルーマン大統領が、ギリシアとトルコに干渉したときからである。トルーマンはこれを機に、共産主義を封じ込めるトルーマン=ドクトリンに踏み出した。これを経済的に裏づけたのが、1946年6月5日、ハーヴァード大学での講演で、国務長官ジョージ=マーシャルが提唱し、1948年4月3日、トルーマンが発動したマーシャル=プランである。この計画は西ヨーロッパ16カ国が受け入れ、初年度だけで53億ドル、1951年までに125億ドルが投じられ、西ヨーロッパ諸国の工業水準を、戦前より30%上まわるものとした。マーシャル=プランを非難したソ連と東欧諸国は、相互援助条約を発展させて、1947年10月、コミンフォルム(共産党情報局)をワルシャワで結成した。フランスやイタリアの共産党もこれに加わり、本部をユーゴスラヴィアのベオグラードにおいて発足した。

【結成】マーシャル=プランに対する反発はさらに強まり、1949年1月25日、モスクワにおいてコメコンが結成された。ソ連・ポーランド・ルーマニア・ハンガリー・ブルガリア・チェコスロヴァキアの6カ国が加盟国で、当時、モスクワで開かれていた国際経済会議に出席していた国である。その目的は加盟国の経済相互協力と貿易の発展で、各国代表による総会(事務局はモスクワに置く)が最高決定機関であり、そのもとに、各種の専門委員会が置かれている。

【発展】参加国は1949年にアルバニア、1950年に東ドイツが加わり、1962年の総会で規約が改められ、ヨーロッパ以外の国も参加できるようになったのに伴い、1962年にはモンゴル、1972年にキューバ、1978年ヴェトナムが加盟した。しかし、ソ連と対立したアルバニアは1962年12月に脱退した。ユーゴスラヴィアは準加盟で、ラオス・中国・北朝鮮・アンゴラはオヴザーヴァーである。さらに1973年にはフィンランドと、1975年にはイラクおよびメキシコと協力協定を結んでいる。アジア諸国の参加に先立ち、1958年5月21〜23日、モスクワで開催された総会で、加盟国のより緊密な経済協力を約束するとともに、中国・北朝鮮・北ヴェトナム・モンゴルの4国がコメコンと経済協力をすることが決められた。コメコンは各国の経済発展計画を調整して、それぞれの国家の生産部の担当を決め、国際分業体制をとり、EECに対抗して、科学・技術面を含めた経済交流を強化した(1962年6月6、7日、モスクワ総会)。また1964年1月にはコメコン銀行(国際経済協力銀行)を、1970年5月にはコメコン投資銀行(国際投資銀行)を設立し、為替レートの改善を初め、エネルギーや原料の長期的な共同開発を行っている。加盟国のあいだでは、この機構があまりにもソ連中心であることへの不満もある。

【波紋】コメコンが設立されると、西側諸国は北大西洋条約機構(NATO)を1949年4月4日に発足させた。これに対抗してソ連はチェコスロヴァキア・ユーゴスラヴィア・ポーランドと結んでいた相互援助条約をブルガリア・ハンガリー・ルーマニアに拡大し、1955年5月にはワルシャワ条約機構が、ソ連と東ヨーロッパ諸国とのあいだに成立した。つまり、集団的軍事同盟の対立にエスカレートしていったのであり、冷たい戦争が熱い戦争に発展する原因となった。


旅研トップページ