●五奉行・五大老 ごぶぎょう・ごたいろう
アジア 日本 AD
豊臣政権の職制。五奉行は前田玄以(げんい),浅野長政・増田(ました)長盛・石田三成・長束(ながつか)正家をいう。これらの5人が奉行として署名している文書の初見は1595年(文禄4)であるが,制度化されたのは秀吉の死の直前1598年(慶長3)ころと推定される。前田玄以が所司代として公家・寺社・諸座・諸職に関することを,長束正家が知行・兵糧などの財政を,浅野長政・増田長盛・石田三成が司法・一般行政をつかさどった。五大老は五奉行の上に位する職制で,徳川家康・前田利家・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川隆景が任じられて1597年ころ成立した。その職務は本来は最高顧問的なものであったが,1598年7月,病あつい秀吉に後事を託された。秀吉の死後,前田利家は秀頼を後見,徳川家康は伏見城で政務をあずかった。翌年利家が死ぬと家康に実権が集中し,1600年の関ヶ原の戦いで五奉行・五大老は崩壊した。