●近衛文麿 このえふみまろ
アジア 日本 AD1667 江戸時代
1891〜1945(明治24〜昭和20)昭和時代の貴族政治家である。五摂家筆頭の関白家の出身で近衛篤麿の長男であり,秀麿の兄にあたる。東京に生まれ,京都帝国大学を卒業した。30歳の若年のとき,貴族院の皆から推され,元老の西園寺公望にその後継者として期待されたが,しだいに西園寺から遠ざかり革新貴族の道を進んだ。1918年(大正7)「英米本位の平和主義を排す」という論文を発表し,のちになって盛んになった東亜新秩序への展望を指示した。1931年(昭和6)貴族院副議長,1933年同議長となる。1937年第一次近衛内閣を組織し,日中戦争開始後「国民政府を相手にせず」と声明,新党親軍運動にかつがれた。1940年第二次内閣のとき新体制運動を推進し,翼賛会を実現し政党を解散した。また松岡外交による枢軸外交と南進策を行う。敗戦後憲法改正に努め,戦犯出頭命令で毒をのみ自殺。
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