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●後鳥羽天皇 ごとばてんのう

アジア 日本 AD1180 平安時代

 1180〜1239(治承4〜嘉禎5)第82代天皇(在位1183〜98)。諱は尊成(たかひろ)。高倉天皇の第4皇子で,母は藤原殖子(ふじわらのやすこ,坊門信隆の娘),1183年(寿永2),平氏が安徳天皇を奉じて都落ちしたので,祖父後白河上皇の院宣により4歳で即位した。在位中は後白河院と土御門(源)通親に政治の実権をにぎられていたが,19歳で譲位してから,土御門,順徳,仲恭の3代23年間にわたり,院政を行った。上皇は御所や離宮を数多く造営・修理し,熊野に31回も参詣するなど行動派であった。とりわけ朝権を回復するため,院に西面の武士を新たに設け,みずから笠懸(かさがけ),水練などに熱心で武芸を奨励し,ついに1221年(承久3),執権北条義時追討宣旨を発し挙兵したが,幕府軍勢の猛反撃にあって敗北し,隠岐島に流された(承久の変)。以後18年間,念仏と和歌に心を傾け,配所で崩じた(60歳)。はじめ顕徳院の諡号が贈られ,のち後鳥羽院と改められた。陵(大原陵)は京都市左京区大原にある。和歌をはじめ,書画・管弦などにも優れ,藤原定家らに『新古今和歌集』を撰進させ,『後鳥羽院御集』,『遠島百首』などの歌集や数多くの歌合の判詞,および『後鳥羽院宸記』,『後鳥羽院御口伝』,『世俗浅深秘抄』,『無常講式』などをのこしている。

〔参考文献〕保田与重郎『後鳥羽院』1941,万里閣

龍粛『鎌倉時代・下−貴族政治の動向と公武の交渉−』1957,春秋社

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