●後藤新平 ごとうしんぺい
アジア 日本 AD1857 江戸時代
1857〜1929(安政4〜昭和4)明治・大正の政治家。水沢藩(岩手県)の医家に生まれ,藩校をへて福島の須賀川医学校卒業。1880年(明治13),愛知県立病院長兼愛知医学長。翌年,板垣退助の岐阜遭難事件の際駆けつけ,官憲の反対のなか診察した。1883年内務省衛生局技師,ドイツ留学後同局長。1892年に相馬事件に連座して一時入獄するも無罪。陸軍検疫部勤務をへて,衛生局長に復す。1898年台湾民政局長となり,総督児玉源太郎のもとで植民地経営にあたり在任10年をへた。また孫文の恵州事件を援助。1906年,初代満鉄総裁。1908年より第2次・第3次桂太郎内閣の逓相。鉄道院総裁・拓殖局副総裁を兼ねた。1916年(大正5),寺内正毅内閣の内相。ついで外相としてシベリア出兵を主張。1920年東京市長。市長在任中に日ソ国交回復に尽力。1923年,第2次山本権兵衛内閣の内相兼帝都復興院総裁となり,関東大震災後の大規模な復興計画を立案した。
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