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●後藤象二郎 ごとうしょうじろう

アジア 日本 AD1838 江戸時代

 1838〜97(天保9〜明治30)土佐藩士で政治家。板垣退助と親交があり,義叔吉田東洋に学ぶ。幡多郡奉行,近習目付となったが,東洋暗殺後失脚。1863年(文久3)山内容堂土佐藩の権力を掌握すると,政界に復帰し容堂に信任された。この間,江戸の開成所に学ぶ。1864年(元治1)大監察となり,武市瑞山土佐勤王党員を断罪した。1866年(慶応2)開成館仕法を推進し,航海遠略策を展開する。長崎で坂本龍馬と会い,のち龍馬の意見にもとづき,容堂を説いて大政奉還の建白に成功した。以後,維新政府の参与,参議を歴任したが,1873年(明治6)征韓論に敗れると下野,翌年板垣らと愛国公党を組織し,民撰議院設立を建白したが却下された。のち実業界に乗り出し,高島炭坑を経営したが失敗。1881年板垣らと自由党を結成したが,翌年政府に懐柔されて外遊する。1887年条約改正に反対し,大同団結の指導者となったが同志を裏切り,1889年黒田内閣の逓相となる。以後も政府の閣僚を歴任するが,弾劾されて辞任。のち韓国顧問となるが不遇のうちに没した。

〔参考文献〕大町桂月『伯爵後藤象二郎』1914,冨山房

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