●古典古代 こてんこだい
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すなわち「ギリシア・ローマ的」、「古代」の意味である。ヨーロッパで単に古代といえば、伝統的にキリスト教的中世以前の異教的ヨーロッパ世界の時代を意味し、とくにルネサンス以降ではそれは、その時代が生んだ“古典”によって近代以降のヨーロッパ文化に深い影響を与えた“古代”のギリシア、ローマのそれを意味した。したがって、古代オリエントに続いて古代ギリシア人が歴史に登場してくる前1900年ごろから、西ローマ帝国が滅びる476年までのギリシア、ローマ人の活動地域を対象範囲とする。ただし最初の800年間、すなわちミケーネ文明に属する期間を含めるかどうかについては資料的に未解決の点もある。なお、古典古代のなかでアレクサンダーの死(前323)からエジプト王朝の滅亡(前30)までをヘレニズム時代、それ以後をローマ時代と呼ぶこともある。
【古典古代の特質】この時代区分はF.シュレーゲル(1772〜1829)がつくった用語を、マルクス、エンゲルスが前資本主義的生産様式の発展段階を類型づけるために利用して行ったものであるといわれる(太田秀通『東地中海世界』岩波世界歴史叢書、174ページ;『岩波講座 世界歴史』別巻所収、同著者論文198・204ページ注4)。この社会経済史的な見方からすると、古典古代とは原始共同体的生産様式からアジア的、古典古代的、封達的生産様式へと発展する一過程である。そして、この段階の共同体は基本的にはポリス共同体であり、したがってポリス共同体が成立、発展、衰退、変質する過程全体が、歴史的にみた古典古代的共同体になる。
ポリス共同体の特質は、成員全体が私的土地所有を公認されるとともに、共同体の公共的土地所有が併存する点に求められる。
【ポリスの成立】ポリスでは私有制によって成員間の自立と平等が保障されると同時に、公有地の存在が示すように、個々の成員を超えた支配組織が成立している。したがって私有権の保障は、同時に支配組織への参加権をもつことによって初めて完全となる。この原則と現実の落差がポリス内の政争を生む。事実この争いは、しばしば貴族や富裕平民への土地集中と没落農民による土地再配分要求から生じている。
この争いの典型的な解決の例は、前5世紀の盛期アテナイにみられる。まずアテナイのいずれかの区(デモス)に属し、両親ともにアテナイ人であることなどの市民資格が公的に認定された者は、すべて平等に市民権をもつことができた。そして最後的には、土地などの財産や軍費負担力がなくても市民権が認められ、この結果土地所有問題の一面は収拾された。同時に土地所有は市民に限られ、譲渡も厳しく制限されることによって、土地をポリス固有の財産とする閉鎖的なポリス共同体の本質が維持されるようにされた。また貧困市民に対しては、ポリスが直接上げた利益を手当などの形で配分したり、富裕市民に奉仕義務を課して私的利益の一部を提供させたりした。これによっても、また土地問題からの回避が容易になったようにみえる。
しかしこうした利益は、スパルタ市民が被征服民からの貢納で生きていたように、アテナイではデロス同盟参加の諸ポリスヘの賦課金や間接的収奪のなかから生み出された。また奴隷使役は、ポリス成立の早い時期から行われていたが、商工業の発展に伴って、他ポリス出身の在留外人とともに奴隷人口が大量に増えて、経済的に大きな役割を果たすようになった。しかし居留民への権利制限は厳しかったし、奴隷にいたっては人格権すらまったく否認された。これは多少の差はあれ古典古代に共通の特質である。
【古典時代】古典的という冠称は、むしろ前5〜前4世紀アテナイに対する“古典時代”の方が一般的である。それはこの期のアテナイが真に創造的で完成度の高い、故に典型的な作品を豊富に遺したためであり、またこれを規範化して“古典”としたのは、ヘレニズム時代の博識と教養である。