●国家主義運動 こっかしゅぎうんどう
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国家主義とは,国家に最高の価値をおく思想で,個人は国家に従属すべきものとし,国家権力が社会生活の全域に及ぶことを是認し,かつ主張する政治原理をいう。国権主義ないし国家絶対主義と同義である。国家主義ということばは,フランス語のエタティスムのほかには,それにあたるものをヨーロッパに求めることはできない。エタティスムの固有の意義はソシアリスム=デタ国家社会主義)にあり,たとえばヒトラーの国家社会主義(ナチス)も,広い意味の国家社会主義のなかに含めることができる。したがって国家主義をしいて表すとなると,極端なナショナリズム,もしくはウルトラ=ナショナリズム(超国家主義)となり,ここでは国家主義は全体主義と同意義となる。しかしながら,わが国ではファシズムが国民的要素をもつと主張する社会ファシズムの形をとるよりも,天皇制ファシズム,あるいは天皇制のファシズム化といわれるように,既存の支配体制を最上の存在として個人をこれに従属させるという方向をとった。このようにわが国の国家主義とヨーロッパのナショナリズムのあいだには,その本質において,かなり顕著な相違がみられ,それが国民主義・国粋主義・民族主義などと混用される原因になったのである。【日本における国家主義運動】日本の国家主義運動は,天皇制の封建性に立脚する超国家主義が主流となり,内に対しては権力独裁体制の強要,外に対しては国家膨張主義と結びついてアジアへの侵略主義や軍国主義的傾向を帯びた。時期的にはほぼ以下の5段階に分けられる。
[1]第1期 一般に日本の国家主義運動の源流は,明治前期の国権論に求められる。明治維新後,近代国家としての発展に応じて,欧米列強の圧力に対する三宅雪嶺,志賀重昂らの国粋主義と頭山満の玄洋社に代表されるような大陸進出,対外強硬主義が主張された。日清戦争ののち,帝国主義諸国の露骨なアジア侵略に刺激されて,国民的感情は帝国主義の方向へ動員され,徳富蘇峰,山路愛山,高山樗牛らがその先頭に立った。[2]第2期 大正時代から昭和初年まで。第一次世界大戦後,デモクラシーの主張が蔓延したが,社会主義思想の浸透に伴ってそれは急激に急進化し,労働運動がにわかに昂揚した。このような状態を背景として,それらに対抗する反革命運動が,シベリア出兵と米騒動を契機に展開された。北一輝,大川周明らがこの時期の代表的な思想的指導者である。[3]第3期 1930年(昭和5)のロンドン軍縮会議問題に端を発し,民間右翼の国家主義運動ないし国家社会主義運動は,軍部・官僚という既存の国家機構内部の政治勢力と対抗する部分を残しながらも,やがて“国家革新”の名分のもとに横の連帯を強めていくことになり,テロ,クーデタなどの実力行使が行われるようになった。1936年(昭和11)の二・二六事件はその象徴的なものであったが,この事件を契機として,わが国の右翼運動は独自な地位を失い,一方,統制派に握られた軍部は政治的発言力をさらに強化していくことになった。[4]第4期 1937年(昭和12)の日中戦争から太平洋戦争の終結まで。この時期の国家主義運動は,絶えず支配機構のなかでのファシズム体制の強化に役立ち,自己の政治的地位を支配機構のなかに確立したのちはその意義を失うという運命にあった。すなわち軍部ファシズムが確立し,右翼国家主義運動が天皇制支配体制に吸収されると,その運動は単に断片的なものにすぎなくなったのである。[5]第5期 太平洋戦争の徹底的敗戦によって,超国家主義は,観念的にも実体的にも一応崩壊した。しかしそののち,徐々にではあるが旧右翼団体が再生し,国際関係の緊迫化を背景として再軍備促進を目標に運動を展開している。
〔参考文献〕木下半治『日本ファシズム史』
『尊攘思想と絶対主義』東洋文化講座
加田哲二『日本国家主義の発展』
津久井龍雄『日本国家主義運動史論』