●コソボの戦い コソボのたたかい
AD
オスマン朝スルタンとバルカン半島のキリスト教徒侯との戦争。14世紀中葉にバルカン半島に進出したオスマン朝はトラキア,ブルガリアを併合した。1389年スルタン,ムラト1世は,セルビアを攻撃した。セルビアのラザル公は,ボスニアのトブルトコ王,ワラキアのミルチャ公の支援を受け抵抗したが,百年戦争やペストの大流行により西欧キリスト教国は援軍を送れず,ヴェネチア−ジェノヴァの対立などキリスト教内部の不統一は,「コソボ十字軍」を名ばかりのものとして,オスマン朝軍に敗北を喫した。戦後,ドナウ川以南の大部分はオスマン朝の支配下に入った。しかし,キリスト教徒農民はオスマン朝の支配を,それまでの過酷な重税から解放するものとして歓迎し,バルカン半島キリスト教徒君侯の支配の限界を示した。なお,ムラト1世は,戦場視察中に,負傷者のあいだにあったミロシュ=カビロヴィチの襲撃により死去した。