●五摂家 ごせっけ
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鎌倉時代中期以降,藤原北家の道長の家流のなかで,摂政・関白につくことのできた近衛・鷹司・九条・二条・一条の五つの家柄。平氏政権下において基通が摂関となったが,平清盛と姻戚関係にあったため,平氏が没落すると源頼朝に推されて,弟の兼実が摂関となった。これより摂関家は基通の近衛と兼実の九条の2家に分かれた。その後九条道家は,その子頼経が鎌倉幕府の四代将軍となったため,摂関となって公武のあいだに権勢を振るったが,その子,教実,良実,実経も摂関となり,それぞれ九条,二条,一条の3家に分かれた。一方近衛家では,基通の孫の兼経が摂政となったが,嗣子基平が幼少であったため弟の兼平を摂政とし,ここに五摂家が成立した。その後摂関は五摂家のなかから交代で就任するようになり,後醍醐天皇のときに一時廃止されたが明治維新まで続いた。そして1884年(明治17)に華族令によって,五摂家とも公爵を授けられた。