●ゴシック美術 ゴシックびじゅつ
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西欧中世でロマネスクにつづいて生まれた美術の様式。もともとは,「ローマ風=文化」に対する「ゴート風=野蛮」の意味で,蔑称的に用いられたのが始まりだが,現在では,中世後半11〜15世紀にかけて,西欧北部に栄えた美術の様式的総称となっている。民族移動でアルプス以北に定着したゲルマン諸族は,ローマ帝国と,とくにキリスト教をとおして文化をうけとったが,中世前半の教化期をへてローマ風とは異なる独自の国民的文化を形成するにいたったことの,美術における表れがゴシックとなっている。その特質は教会堂建築に最も良く現れた。地上における〈神の家〉をできるだけ〈天界〉の再現と感じさせるために,教会堂空間に造型美術の精華が総合的に集中されたからである。〈神の家〉の象徴であるためには,まず教会堂の内部空間の上方部が〈天上〉そのものを示唆・象徴するものでなければならない。西ローマ教会系のビザンツ聖堂では,具体的に天界を象徴するものとして,半球型円蓋が上に架せられた。ゴシック伽藍では,それは噴きあげる水のように重力の限界を破って,限りなく上昇を志向する運動となって現れる。ドイツの美学者ヴォーリンガーはそれを〈垂直衝動〉と呼んだが,具体的にはその運動は,まずたばねた石柱を重層的に積み積ねて,高さを求める柱一構造に建物の組み立てを転換する形で現れる。地上平面からアーケード,トリフォリウム,高窓というように積み重ねられた各層は細かなアーチで分節され,最下層では束となっている小柱の線が上にゆくに従って噴水のように枝別れして,それぞれの層でリズミカルに連続するアーチの列をつくる。そして最も上までのびる柱の線は,やがて孤状の天上リブ(肋骨)となって,各方面から最頂の一点に集中して,交叉リブ式尖頭(ポインテッド)アーチを形づくる。柱で全体を支えるこの構造によって壁部分が減少するため,下にかかる荷重は軽減され,さらに外側から飛梁という支柱が建物を支えることで荷重はきわめて合理的に配分され,それによって,さらに建物の高層化が可能となる。こうしたゴシック式建築は,1137年ごろパリのサン=ドニ修道院長シュジェールによる同寺改築計画に最初の姿をみせるが,それを支えたのは,国際的な建築工人で組織された工房(バウ=ヒュッテ)だった。彼らは数年から数十年にも及ぶ建設工事を委託され,各地を移動しながら次つぎと新たな寺院を手がけていった。その傘下には石彫,ステンドグラス,金工細工,ブロンズ鋳造,モザイクなど各分野の美術家が結集され,その綜合的な協力によって,伽藍は建築,彫刻,絵画が混然として一体に統一された一大造型空間となる。11世紀前半,北フランスのパリを中心に始まったゴシック式伽藍は,12世紀未にかけて,サンス・ノワイヨン・サン=リス・ラン・ソワッソン,あるいはパリのノートル=ダムなど,各地に威容を現しながら,その展開をとおして技術的な難題をしだいに解決しながら,意匠的にも精緻さを増してゆく。この初期段階をふまえて,ゴシック伽藍は13世紀に最盛期を迎え,シャルトル,ランス,アミアンなどにその完成された姿をみせる。以後この様式はヨーロッパ各地にひろがり,14〜15世紀にわたってイギリス,ドイツ,さらにはイタリアにまで足跡をのこすこととなる。ゴシック伽藍は全造型美術の綜合的空間であったため,その建設を通じて彫刻・絵画・工芸の水準は急速に高められ,ヨーロッパ各地の美術は一つの成熟期に達し,その後のルネサンスの基礎を形づくる。その影響は多岐にわたり,柱一構造で可能になった,大きな窓をおおう絵ガラスによって絵画表現の発展を促したのを始めとして,それはまた絵画的タピストリーの発展を触発し,さらに金属装飾品,調度などの分野にも多大の影響を及ぼした。とくに重要なのは,全般的な文化水準の向上に伴って,聖書・祈祷書など宗教用典籍の需要が拡大し,それによって写本技術の向上がもたらされるとともに,それら典籍の豪華化と装飾化が促された点で,それら写本の挿絵から,のちの平面絵画,版画などが発展することとなる。
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