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●古事記 こじき

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 日本の国家の起源およびその形成期に関する現存最古の歴史書。序文と本文(上・中・下巻)から成る。680年代前半(天武10年代)に天武天皇の詔によって著述・成文化された。これを仮に“原古事記”と名付ける。その著者は未詳であるが,本文内容に丸邇(わに)氏の功を語る話柄が格別に多いこと,そのほかから,その一族某(柿本・春日・小野寺諸氏の一人)と推定する。これを712年(和銅3)に太安麻呂が手を加えて上進したものが現にみる『古事記』である。1372〜73年(応安4〜5)の写本(眞福寺本),そのほか数種が著名。版本は1644年(寛永21)刊行のもののほか多数がある。

【序文】太安麻呂が711年9月18日に元明天皇の命をうけ,それにさき立つ天武朝に,天皇の詔によって,この朝までに存在した帝紀(6世紀ころ朝廷で述作された天皇の代々の治世の記録)と旧辞(同じく多分神話のことであろう。−共に現存しない)を改撰したもの,すなわち“原古事記”をあらためて撰録し,翌年正月28日に献上したという次第を述べる。“表”とよばれる形式で,第1段に本文の内容に即して国の成立を説き,天武帝の事績とくに壬申の乱の偉業をたたえ,第2段で帝紀,旧辞は〈邦家の経緯・王化の鴻基〉であるにもかかわらず〈正実に違い虚偽を加え〉ているゆえ,改撰すべき旨の詔と稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦習(文字に即しながら,和文よみを暗誦し習熟する)のことを述べ,第3段に元明帝の盛徳と,その旧辞撰録の詔を記し,終りに安麻呂自身の筆録の方針を述べている。この安麻呂の4カ月間の作業は,用字の一部改撰と訓読上の注記を加え,これに序文(上表文)を添えることであったと考えられ,阿礼の誦習した“原古事記”本文の文章内容は変改しなかったものと考えられる。

【本文の内容と構成】上巻は天地初発に始まるいわゆる神世の巻である。天地の初めに高天原に天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)ほかの神々(皇統神の祖)が生まれ,最後に伊邪那岐(いざなぎ−男神)神,伊邪那美(いざなみ−女神)神が生まれる。この2神が地上に降り,夫婦となって国土や山の神や海の神そのほかを生むが,最後に火の神を生んで女神は死ぬ。黄泉国(地下の死者の世界)に行った女神を追って男神がその国に赴き,女神を地上に連れ戻そうとするが失敗する。のちに男神が水中で禊(みそぎ)をし,そこで天照大御神(あまてらすおおみかみ−太陽神)や須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれる。のち須佐之男は狼藉を働き,ために姉の天照大御神は立腹して天之石屋に籠る。八百万神(やほよろづのかみ)の工作で大御神は石屋(いわや)から出て高天原に光が戻る。この事件のために須佐之男は追放されて根之堅洲国(ねのかたすくに−地中の世界)に赴くが,途中出雲国で八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治し,櫛名田比売(くしなだひめ)を娶る。この子孫に大国主神,別名大穴牟遅神(おおなむちのかみ)がある。この神は根之堅洲国で須佐之男命から試錬をうけるが,その娘の須勢理毘売(すせりびめ)を娶り,この女神を伴って地上に逃れ,やがて国つくりを始める。

 この国土は高天原の使者建御雷神と大国主神およびその子神事代文神(ことしろめしのかみ)等との交渉ののち,天神(あまつかみ−天照大御神)に献上され,その子孫の邇々芸命(ににぎのみこと)が諸神を率いて日向の高千穂峰に天降る。この命は大山津見神の娘の木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)を娶り,火遠理命(ほおりのみこと)が生まれる。この命が海幸・山幸の経緯ののち海神大綿津見神(おおわだつみのかみ)の娘の豊玉毘売(とよたまびめ)を娶って鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を生む。以上日向三代。

 歴代天皇巻。中巻は第1代神武天皇(神倭伊波礼毘古命)から第33代推古天皇(豊御食炊屋比売命・とよみけかしきやひめのみこと)に至る。各巻ごとに天皇の即位・宮号・后妃子女。それらが某氏の始祖であることの注記・天皇の年齢・山陵の所在等の記事と,各天皇の治世の事蹟すなわち政治制度,経済,文化等の起源,天皇,皇后,皇子や氏々にかかわる物語で構成されている。その内容は上記の記事や記録にみられる理念性,形式性と同時に,神世巻ともども国風かつ牧歌的で,さらに歌物語など文芸性にも富んでいる。

 以下天皇の巻々について略述すると,第1代神武天皇は日向を出発して東征し,浪速の渡(なみはやのわたり)をへて日下に上陸しようとするが,登美の那賀須泥毘古(ながすねびこ)の軍にはばまれ,あらためて日を背に負って撃つために熊野に迂回し,ここに上陸して,八咫烏(やたがらす)に導かれて倭(やまと)に入り,ここを平定して第1代神武天皇となる。

 第10代崇神天皇の世に,疫病のために人民が絶えようとする。これは大物主神(大国主神の分身)の崇りであったので,その子孫にこの神を祀らせると疫病は収まり,天下は太平になった。そこで初めて男には弓弭の調(ゆはずのみつぎ),女には手末の調(たなすえのみつぎ)が課せられた。

 11代垂仁巻では,出雲大神(大国主神)が皇子本牟智和気御子(ほむちわけのみこ)に崇り,皇子は生まれつきものがいえなかった。皇子を出雲に遣わして大神を参拝させると崇りが消えた。そこで神宮が造営され,皇子の名にちなんで品遅部(ほむちべ)以下の部が設置される。

 12代景行巻では,倭建命(やまとたけるのみこと)が東西を征討し,諸賊・荒ぶる神を平定する。東征の帰途伊服岐(いぶき)の山の神を退治に赴き,この神に敗れ,伊勢の能褒野(のぼぬ)で崩ずる。

 14代仲哀巻では,天皇が天照大神の託宣を疑って崩じたので,これに代わって皇后が新羅に遠征してこれを服属させて凱旋する。

 これらの物語のほか,国の経済の発展を語るものが上記10代崇神巻以後に,また政治組織の発展整備を語るものが,11代垂仁巻以後に一定の秩序をもって記録されている。他方,天皇に対する謀反や不敬,それらに対する天皇の勝利や誅殺,天皇の寛大や仁慈,皇位の互譲や辞退などを通じて,皇位の神聖が語られる。この種の物語の最後に21代雄略巻では,天皇が葛城山に狩に行き,現身(うつしみ)の神一言主神(ひとことぬしのかみ)に出会う。この神の服装,鹵簿(ろぼ),(行列),言葉,所作すべて天皇と同じであった。多少の齟齬(そご)の後,天皇と神は和解し,親睦を深める。

【天皇統治の発展】歴代巻の記事と系譜の示すものは,天皇の国土統治とその万世一系である。経済の発展と政治組織の段階的整備の記録は,その統治の展開を語ることを意図している。次に物語は,その統治の発展と皇位の神聖という二つの主題を柱として構成される。またそれぞれの主題は神々によって神霊化され,主宰され,守護されている。神武天皇の熊野上陸は建御雷神(たけみかづちのかみ)の降した神剣を通して天照大神の神霊に助けられた。逆に神威を失えば伊服岐山の倭建命のように荒ぶる神に敗北する。大物主神の崇りも,出雲大神の崇りも,神世巻の物語と連鎖し,神の意に適えば崇りは解け,それぞれ国の経済と政治の発展が進行し始める。

【皇位=天皇の神聖】21代雄略巻に示現する一言主神の神名“一言主”は“天皇”の文字の解字転成“一・大・白・王”→“一”・“大白”・“王”。このうち“大白”は“大イニ白(マヲ)ス”=“言”(天皇の言であるから“大”が冠せられる)である。上掲の,この神の天皇との相似も天皇現人神すなわち天皇神聖を語る神話的手法である。

【研究史】『古事記』は奈良・平安朝以後,その唐風化のために世に埋もれ,古代以来の神祗関係の家などに伝わるだけで普及は限られていたが,近世以後,とくに本居宣長の『古事記伝』(1798)によって,その訓読と注釈が大成し,このころ以後研究は盛行した。明治以後,津田左右吉の『神代史の新しい研究』(1913)など,その研究は近代化され,その非史実性・説話性が明らかにされ,本文について,その構成・用語・用字を通じて古代説話・仏典・儒家思想との関係や,天武朝の施政,制度との関連などが解明されている。

〔参考文献〕「古事記」国史大系本,「古事記」神逅大系本

川副武胤『古事記の世界』教育社

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