●後三条天皇 ごさんじょうてんのう
アジア 日本 AD1034 平安時代
1034〜73(長元7〜延久5),記録荘園券契所(記録所)を設け藤原摂関家の専権に対抗手段をとり政治の流れを変えた平安中期の天皇。名は尊仁,後朱雀(すざく)天皇の第2皇子。道長全盛時代不遇だった三条天皇の皇女,陽明門院禎子を生母とする。20年の東宮時代は不遇であったが1068年(治暦4)に即位すると人材の登用を行い親政につとめ,外戚関係のないことから藤原氏の経済力膨張に歯止めをかけんとした。成功,重任の禁,売官停止,延久宣旨桝の制定,中・下級官人に受領層を採用するなどの施策は,前代の放漫さに比べ政治を引き締める効がみられる。記録所は新立荘園,公験不分明の荘園の整理に着手,従来の荘園整理の曖昧さを棄てた気慨と実行が看取される。摂関政治の流れは停衰し,天皇は1072年(延久4)譲位,その後も政務を総覧する意図をもったがほどなく崩御した。やがて後三条の子白河による院政開始によって政治権力は完全に天皇の父方に移ってゆく。