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●護佐丸 ごさまる

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 ?〜1458 中城按司護佐丸盛春。唐名(中国名)は毛国鼎。号は瑞享。童名は真牛。『毛氏先祖由来伝』には〈護佐丸公時代に至り,中山統一に帰し候付読谷山江城被透,読谷山按司と称した〉とある。護佐丸は当初,読谷村座喜味(ざきみ)城の東北4kmにある恩納村山田城に居城していたが,1416年(永楽14),中山尚巴志(しょうはし)に従って,北山討伐に従軍し,今帰仁城を攻略,のち初代北山監守として,一時同城に居城していたおりに,座喜味城を築城したと伝えられる。この築城には遠く奄美鬼界島(喜界島)からも人夫を徴したといわれ,当時奄美諸島までもその勢力の及んでいたことがわかる。護佐丸はそののち15世紀の中ごろには,座喜味城から中城城(なかぐすくじょう)ヘ移城したようである。『毛氏先祖由来記』には中城城へ移ったのは勝連按司安麻和利(アマワリ)に対する防御のためとある。護佐丸の一娘が尚泰久王の妻となり,姻戚関係にあった。しかし,尚泰久王の娘を妻にめとり,同じく姻戚関係にあった阿麻和利の策略によって,1458年(天順2)首里の攻略を受け自刃する。