50音順    検 索

●護憲三派 ごけんさんぱ

アジア 日本 AD 

 大正期の護憲(憲政擁護)運動は,第1次(大正1〜2)と第2次(大正13)の二回行われたが,第2次護憲運動のときに中心となった憲政会政友会革新倶楽部の3政党を護憲三派という。政党に基礎をおかない,いわゆる〈超然内閣〉は,1922年(大正11)の加藤友三郎内閣,1923年の第2次山本権兵衛内閣のあとを継いで,1924年1月に枢密院議長清浦奎吾が,貴族院中心の内閣と,3代続いた。貴族院の特権と制限選挙を基調とした清浦内閣のときに,国民の階級意識を強めるとの立場から三派の政党を中心に反対運動が盛り上がった。しかし政友会では,高橋是清総裁が護憲運動に加わると分裂し,同年1月に床次竹二郎らは政友本党をつくった。5月10日に行われた総選挙では,普通選挙断行・貴族院改革・行財政整理をかかげた三派が圧勝し,6月11日には三派を中心とする加藤高明内閣が成立した。こうして二大政党の党首が交互に組閣する政党内閣制の慣行が成立し,1932年(昭和7)の犬養内閣まで続いた。