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●国連貿易開発会議 こくれんぼうえきかいはつかいぎ

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 United Nations Conference on Trade and Development(UNCTAD)国際連合の補助機関で,おもに第三世界の経済開発問題すなわち,いわゆる南北問題を討議する。執行機関は国連貿易開発理事会(United Nations Trade and Development Board,略称TDB,事務局はジュネーブ在)。1962年,第17回国連総会での決定によって1964年3月に第1回会議をジュネーブで開催し,その後1968年2月にニューデリー,1972年4月にサンチャゴ,1976年5月にナイロビ,1979年5月にマニラ,1983年6月にベオグラードと,1984年までに6度開かれている。これは第1回会議において4年以内,第4回会議には3年以内に次の会議を開く旨が決定されているためである。各会議とも第三世界と西側先進諸国とのあいだにおける貿易不均衡,援助問題,通貨・金融問題をめぐる攻防の場となった。すなわち第三世界側は輸出産品の国際価格の安定,援助の拡大,国際通貨基金ファシリティの増大,後発発展途上国へのさらなる援助,そしてこれらのための国際組織や基金の設立を繰り返し要求し,先進諸国は基本的理念には賛意を表しても実現についてはなかなか譲らないという状況である。加えて先進諸国も第三世界側もともに統一的な見解や主張を必ずしも有せず,各国別の事情もあってそれぞれの内部でもまた紛糾がおきるなど,会議はときに激しい議論の応酬となる。ベオグラードでは166か国が参加した。南側は1967年10月にアルジェで独自の会議を開きアルジェ憲章を採択したのを皮切りに,77カ国グループ(Group of 77,第1回UNCTADに77の発展途上国が参加したことにちなむ名称で,現在は77よりも多いが第三世界あるいは南側諸国と同様の意味に用いられる)閣僚会議を1971年10月にリマで,1975年2月にマニラで,1979年2月にアルーシャで,そして1983年3月にブエノスアイレスで開き,そのつどに先進国側に対する要求事項を作成して,UNCTADに臨むのが通例である。すなわち新国際経済秩序マニラ宣言,一次産品総合計画,アルーシャ計画などである。これに対し先進国側は,サミットすなわち先進国首脳会議や経済協力開発機構を通じて相互の意志疎通をはかっている。ソ連を中心とする東欧社会主義諸国の関与はあまり活発ではない。UNCTADは世界的規模で国際経済政策が討議されるほぼ唯一の国際機関であり,非常に重要ではあるが,その結果はつねに第三世界にとって満足できないものとなっている。ベオグラードでの第6回会議の結果をみると,第三世界の主要輸出品目である第一次産品の国際価格については,マニラ宣言と第4回UNCTAD以来の懸案として,一次産品の緩衝在庫に対する融資基金すなわち第一次産品共通基金の設立が求められていたが,最大の拠出国アメリカが否定的態度に固執したため,予定通りの発足が不可能になった。また一次産品の価格変動をヘッジするための輸出所得補償融資制度についても創設は疑問視されている。南北間の貿易不均衡是正と北側の保護貿易主義的色彩の撤廃については,理念的には合意しているものの,実際の施策に関しては先進国側は言質を与えないでいる。通貨・金融においては第三世界は,国際通貨基金の特別引き出し権(Special DrawinG RiGhts,略称SDR)の増加,世界銀行および第二世銀の貸付計画拡充を望んだけれども,これらの機関の意志決定は事実上先進国によってなされており,南側の要求は全面的には認められなかった。政府間開発援助(Official Development Aid,略称ODA)については南側は,1978年に失敗した借金棒引きをひき続き求めているが,これを一率に適用するのはきわめて難しいと思われる。こうした要求のすべてはいわゆる新国際経済秩序(New International Economic Order,略称NIEO)の実現にむけてのものだが,開発援助にからむきわめて複雑な諸問題を単純なスローガンや安易な発想によって解決することは不可能であり,現実的な方向をなお模索することが必要だと思われる。その意味ではUNCTADはフォーラムとしての存在意義が大きい。