●穀物法廃止 こくもつほうはいし
ヨーロッパ 英国 AD
イギリスの1815年の穀物法は、人口増とフランス革命期の輸入減によって高値を維持していた穀価が農業革命の進行に伴う供給変動とナポレオン戦争の終結によって下落することを恐れた地主・農業資本家の要請で制定され、国内穀価が一定値(小麦1クォータにつき80シリング)以下になると輸入を禁じるものであった。これには労働者のみならず戦後不況下で賃金の低下をはばむとして商工業者がらも強い反対があったが、1827〜28年、穀価に応じて高率関税を増減するスライディング=スケール方式が採用されるにとどまった。第一次選挙法政正(1832)で産業資本家の発言力が強まると、1838年反穀物法協会が結成され、これにコブデン、ブライトも加わって1839年全国組織の反穀物法同盟が成立して、院内外の活動が高まった。首相R.ピールは1842年スケールの改正で切り抜けようとしたが、自由党党首ラッセルが穀物税全廃を唱え、また産業資本主義確立に伴う自由貿易主義への時流をみてとり、1849年穀物法廃止に踏みきった。