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●国民体育大会 こくみんたいいくたいかい

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 日本国内大会としては最大規模をもつ総合体育大会。略して“国体”と呼ばれる。各年,冬季・夏季・秋季の三つの大会が行われる。

【歴史】国体の前身は,1924年(大正13)から行われてきた「明治神宮競技大会」である。戦争で中断されていたこの競技会から,健民強兵色を排除し,敗戦に打ちひしがれた国民の気力高揚を願って新たに計画実施されたのが「国民体育大会」の始まりである。企画は当時のスポーツ関係者の呼びかけによって大日本体育協会(現在の日本体育協会)が行った。大会趣旨は〈広く国民の間にスポーツを振興してその普及発達とアマチュアスポーツ精神の高揚を図り,あわせて国民の健康を増進し,その生活を明朗にしようとするもの〉とされた。第1回大会は、比較的スポーツ施設が戦災をまぬがれ残っていた京都市を中心とした近畿地方を舞台に,1946年(昭和21)挙行された。全国から食糧持参の5,377名の選手がこの大会に参加したといわれている。第2回大会,翌年(1947)石川県金沢市を中心に行われた。この大会では北陸巡幸中の天皇陛下が開会式に臨席され,戦後初めて日の丸が掲揚され,また都道府県対抗の形式が整い,火焔のマークの大会旗や大会歌「若い力」が制定された。国体を記念した切手の発行もこの大会から始められた。第3回大会(1948)は,約2万人の参加者を迎えて福岡県で開催された。翌第4回大会からは主催者として開催都道府県が参加することになる。この大会では東京を中心に神奈川,千葉,埼玉の競技場が用いられた。第5回大会(1950)は愛知県で行われた。この大会から,主催者に政府機関(文部省)が参入し,以後体育協会,開催都道府県,文部省が合同して大会を催す形式を守って現在にいたっている。第6回大会(1951)は広島,第7回大会(1952)は東北の宮城,山形,福島の3県,第8回大会(1953)は中国4県,第9回大会(1954)は北海道が開催地となっている。このあたりまでを国民体育大会の創草期といえるであろう。1955年(昭和30)になり初めて「国民体育大会開催基準要項」が制定された。この要項に従って,以後,開催地は単一都道府県に限定され,関東,近畿,中部,九州,東北,北海道,四国,中国の順に全国各県を巡回することが決定された。その後,国体は年々盛んとなり,1962年(昭和37),1966年(昭和41),1968年(昭和43)の大会実施要項の改正などをへて,今日の形式が整えられてきた。このあいだに,国体をきっかけに大会の開催地では学校体育,社会体育がめざましく発展し,また,地方スポーツおよび地方自治の発展に大きく寄与してきた。が一方では,地方自治体への過重な財政負担,開催県の天皇杯・皇后杯の独占(ジプシー選手問題,強化費の増大化)などの問題が表面化し,新たな見直しが迫られている状況である。

【競技と参加者】国民体育大会の正式種目は現在39種目で,このほかにマスゲーム,郷土芸能などが適宜行われる。冬季大会では,ふつう1月のスケート,2月のスキー,夏季大会(9月)では水上競技(水泳・ボート・ヨット),秋季大会では他の競技(公開種目の山岳,スポーツ芸術を含む)が行われるが,開催地の諸条件により種目数が減らされることもある。参加者は日本人のアマチュア選手に限られ,種目により,一般,成年,教員,高校生,少年(16歳以下)などに分けてエントリーされる。これはできるだけで多くの人に参加資格を与えるための配慮である。ちなみに,第39回奈良県大会(1984)には,夏季大会に約4,400人,秋季大会に約1万人の参加者があった。

【天皇杯・皇后杯】冬季・夏季・秋季の大会を通じ,全競技種目(男女総合)成績第1位を獲得した都道府県には,天皇杯が授与され,女子総合優勝の都道府県には皇后杯が与えられる。この表彰は,第3回大回で天皇杯・皇后杯が下賜されたことから始まり,第10会大会から正式の表彰となった。