●国風文化 こくふうぶんか
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平安時代中期ごろよりおきた日本風文化をさす。大唐帝国の滅亡による東アジアとの関係が変わり,遣唐使の中止などにより,唐風文化の影響力が低下し,それに代わって中華中国観を否定して,漢字に対して仮名を,それに伴う国文学の発展,女流文学者の出現,浄土教の発達,美術・工芸・建築様式のなかに国風化の現象が現れ,しかも貴族文化のなかにその荷担者がみえ,豊かさとあでやかさを特色とする時代文化をさす。それに対し国風化とは日本民族(フォルク),日本国民(ナチオン)の歴史的形成過程とその歴史的特質とをおさえるべきと考える河音能年らは,そうした現象は何も平安中期にみられるものでないと考え,『大仏開眼供養会』,『常陸国風土記』,『日本霊異記』,『三宝絵詞』の世界にもみえるものであるといいきっている。とくに彼は古代律令貴族の文化は,唐楽・高麗楽や漢詩といった中国・朝鮮渡来の高度な異国の文化・技術と,久米舞や猪伏舞や和歌,民謡のごとき土風の文化との二つで成り立っている。とくに土風歌舞を生み出す地方農村の文化も貴族からみると異国のものであったとする。【国風文化の具体的内容】国風文化とは仮名の発明,真名(漢字)に対する語の成立,もちろんこれは万葉仮名からはじまって,漢字の音訓を使って国語の音を表し,草仮名→平仮名の道を歩む。そのほかに仮名で書かれた物語文学が生まれ,紫式部や清少納言のごとき優れた女流文学者が多く台頭している。しかしその契機は,遣唐使の中絶で(廃止したことはない),これが国風化を進めている。もともと唐風文化の受容,大唐文化圏内にあったものが,その模倣から,それよりの独立を求めた。これは平安中期に求められる。しかし国風化現象は必ずしも大きなものではない。歌合も唐の長安で貴族たちに愛好されていた闘花戯,闘草戯にも似ている。『源氏物語』を読んでも,異国品への欲求はまだまだ強い。彼女らの愛好しているものは唐物ばかりであり,寒いときは黒貂の裘を着てさえおり,異国趣味に生きている。そうはいうものの大和絵が中国(大唐)ヘ輸出され,さらに中国へ小野道風の行草書1巻を携行している。こうしたところにも多少,国風化の自信がみえる。もちろん“やまと絵”も“から絵”を変形発展させたものであるが,その成立の貞観・延喜のころには国風化が発展しだしたとはいえよう。
その国風化の頂点に藤原道長一代の栄華があり,『六国史』や『類聚国史』のあと漢文の歴史書がたえて,国文の歴史書となり,それが『栄華物語』『大鏡』のごとき,道長の一代を肯定したものと,批判的に叙述したものとが出現した。和歌すなわち国風歌では古今集・後撰集・拾遺集・和漢朗詠集中心となる。美術的に寝殿造・大和絵・絵巻物・蒔絵のごときもの,日常生活の上では,衣が唐風の原型を和風に改装,配色,仕立にする国風化がみられる。そして男女貴族の正装の一つの形として成立し,男は直衣(のうし),狩衣,女は小袿(こうちぎ),袴となる。
【国風文化の意義】『古今和歌集』は紀貫之の真名序がある。これなど画期的な意味をもつ。その上に最初の勅撰和歌集であること,次に物語の隆盛も和歌を中心としたもの(私家集歌物語),物語となったものと,口承説話的伝奇性を中心としたもの。前者が『伊勢物語』後者が『竹取物語』,『宇津保物語』である。これをまとめた形の『源氏物語』は傑作である。物語は読物とともに絵解であるという。『宇津保物語』は絵解説もあるくらいである。さらに『今昔物語集』のごとき宗教的・道徳的・知的啓蒙を果たした和漢混淆文のものもある。今様のなかには『梁塵秘抄』のように口伝として口伝集として編修されたものもある。そのなかには神歌・法文歌(仏教教理を歌ったもの)・労働歌などを収め,当時の庶民のあいだや貴族の遊宴で歌われた哀歓を伝えるものがある。このようにみてくると国風文化の流行は,日本社会の基層にある民俗社会をくみ上げたことを示す。いいかえると,表層の貴族文化のいきづまりを示し,地方と庶民が表面に浮かび上って来たことを示す。