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●国土庁 こくどちょう

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 国土の適正な利用に関する総合的基本的な施策を企画立案推進するために,1974年(昭和49)設置された行政官庁。

【設置の経緯】国土行政1 元化の必要性は1964年9月の第1次臨時行政調査会の答申においても明らかにされていたが,国土庁設置の直接的な契機となったのは1972年7月に発足した第1次田中内閣において日本列島改造問題が最重要政策課題として取り上げられたことにある。当時わが国の置かれた状況は,急激な人口と産業の大都市集中が続いたため,大都市問題,土地問題,公害問題過疎問題などが深刻化していた。これら諸問題を解決するための政策提案として「日本列島改造論」が6月に発表され,田中内閣発足と同時に列島改造ブームが巻きおこった。12月,行政監理委員会は,多元化し,錯綜した国土開発などに関する行政機構を再編整理し,国務大臣を長とする機構を設置すべしとする「国土政策に関する行政機構についての意見」をまとめ政府に提出した。政府は直ちに「国土総合開発推進本部」を内閣に設置し,国土総合開発を推進するための機構のあり方について検討がすすめられ,1973年1月,専任大臣を長とし,1官房5局とする「国土総合開発庁(仮称)案」がとりまとめられ,大蔵省及び行政管理庁に提出。また「国土総合開発公団(仮称)」を,工業再配置・産炭地域振興公団の改組により(都市開発業務を追加)設置することが決定された。これらの動きとほぼ同時並行的に,1950年に制定された国土総合開発法の抜本的改正についての検討作業がすすめられた。かくして「国土総合開発庁設置法案」「国土総合開発公団法案」(工業再配置・産炭地域振興公団法の一部を改正する法律案),「国土総合開発法案」の3法案が1973年の2月と3月に相ついで閣議決定され,直ちに第71国会に提出された。しかし,これら3法案は日本列島改造関係法案であるとして,当時大きな社会問題になりつつあった土地投機や環境破壊を進行させるものであるという野党側の強い反対にあい,継続審査となった。12月開会の第72国会では,第1次オイルショックによる狂乱物価・投機的土地取引による地価高騰を抑えて,国民の生活不安を鎮静させることが急務となった。3大都市圏の地価凍結に3法案を修正して活用するという方向で与野党で折衝が行われ,それぞれ修正されて与野党間に合意ができ,1974年5,6月に衆参両院で可決した。修正後3法は「国土庁設置法」,「地域振興整備公団法」,「国土利用計画法」となった。

【任務】国土庁設置法(昭和49年法律第96号),国土庁組織令(同政令第225号)などが6月26日に公布施行され,同日国土庁が発足した。国土庁は国土を適正に利用することにより,健康で文化的な生活環境の確保と国土の均衡ある発展を図り,豊かで住みよい地域社会の形成に寄与するため,国土に関する行政を総合的に推進することを主たる任務として,次のような事務を所掌する。[1]国土の適正な利用に関する総合的基本的な施策を企画立案推進し,関係各省庁の関連計画の調整を行うこと。[2]国土政策の展開にとって基礎条件である土地に関する政策について,地価対策を含め,国土利用計画法を軸として一連の施策を総合的に企画立案推進すること。[3]土地と並んで重要な国土資源である水資源について総合的な見地から需給対策を確立すること。[4]人口と産業が過度に集中している大都市圏の過密対策とともに,地方における都市・農山漁村の振興整備と過疎対策などを処理すること。[5]災害に関する施策について企画立案し,関係各省庁の事務の調整を行うこと。[6]その他国土利用計画法をはじめ44に及ぶ国土政策関係法を所管し,とくに38法律について内閣総理大臣の権限を国土庁長官が補佐すること。[7]国土庁長官は各省庁の長に対して,必要な資科の提出と報告を求めることができ,また重要事項について勧告し,その勧告にもとづく措置について報告を求め,内閣総理大臣に対して意見を具申すること,といった任務が定められている。

【機構】内部部局として長官官房のほか,計画・調整,土地,水資源,大都市圏整備,地方振興の5局を設け,付属機関としては土地鑑定委員会が建設省から移管された。定員は436人,うち334人は総理府(近畿圏整備本部,中部圏開発整備本部など)・経済企画庁・首都圏整備委員会をはじめ大蔵・農林・通産・運輸,建設・自治の各関係省庁から移し替えられた。既存組織の移管では経済企画庁総合開発局・水資源局,建設省計画局宅地部宅地政策課,建設省河川局河川計画課広域利水調査室などがあげられる。

〔参考文献〕国土庁編『国土庁十年史』1984,国土庁