●国体明徴運動 こくたいめいちょううんどう
アジア 日本 AD1935 昭和
1935年(昭和10)2〜10月,天皇機関説排撃のため在郷軍人や民間右翼などが起こした政治「粛正」運動。発端は,貴族院議員美濃部達吉の,議会政治の役割を強調する「天皇機関説」が,在郷軍人議員菊池武夫により反逆思想である,と非難攻撃されたところにはじまる。これに対し,美濃部は,理路整然たる弁明を行ったが,軍部,右翼団体らは,学説を超越した日本観の問題であるとし,排撃運動を展開した。この情勢のなか,3月貴族院は政教刷新決議案を,衆議院は国体明徴決議案を満場一致で可決。4月には,陸軍内に国体明徴の訓示が通達された。さらに8月,岡田内閣は,運動の圧力に押され,国体明徴の声明を発するにいたり,また,美濃部も議員を辞任した。しかし,軍部とりわけ陸軍は,この処置に満足せず,右翼団体らとともに機関説否認をより明確化するようにと要求し運動は激化,そこで政府は,10月,機関説は「国体に悖る」と第二次声明を発表したので,ようやく運動は終息した。こののち右翼や軍部の一部が著しく進出したので,無血のクーデターともいわれる。〔参考文献〕宮沢俊義『天皇機関説事件』上・下,有斐閣