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●国際連盟 こくさいれんめい

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 第一次世界大戦後の1920年1月10日,アメリカ大統領ウィルソンの提唱によって成立した国際機構。

【ウィルソンの理念】ウィルソンは第一次世界大戦中,秘かにイギリスの反戦団体と連絡をとって,それらの主張をも取り入れたうえで,いわゆる十四カ条の提案を行った。そのなかに,国家の意志が絶対化されて,これを抑止できないところに,従来の不幸な衝突の大きな原因があるとして,超国家組織を国際的につくり,国家の無制限な行動をコントロールする必要を説いた。ヴェルサイユ条約はこれを受けて,その条約に国際連盟を設けることが規定された。それが正式に発足したのが1920年1月である。ウィルソン案の作成には,ハウス大佐の功績があり,1918年3月にできたウィルソン案をまず,イギリスとさらにフランス・イタリア・日本と協議したものであった。

【機関と機能】おもな機関としては総会と理事会があり,理事会は最初,4常任理事国と4非常任理事国が置かれていたが,のちに6常任理事国と9非常任理事国に増加した。総会や理事会で決定されたことは,各国政府に尊重させることはできたが,承認させることはできず,それが国際連盟の弱点の一つであった。事務局はスイスのジュネーヴに置かれた。このほか,関連をもちながら独立した外部機関として,常設国際司法裁判所と国際労働機構が置かれた。機能としては,まず,国際紛争を平和的手段で解決し,平和を維持することがあげられ,常設国際司法裁判所もこの目的に沿って活動したが,戦争の絶対禁止ではなく,自衛権は認めた。次に,国際協力につとめ、少数民族を国際的に保護し,植民地を拡大したり,秘密条約締結の防止に努力し,軍備縮小を大きな目的にしていた。さらに,強制的な,また苛酷な労働を除去することを任務とし,国際労働機構はこの目的に協力するものであった。

【参加国】成立とともに参加した国は42カ国であった。しかしその多くは大戦の戦勝国であり,中立国であった。敗戦国であるドイツ・オーストリア・トルコなどは参加を許されず,ヴェルサイユ体制外国家となったソ連も同様であった。ドイツが国際連盟参加を許されるのは1926年3月で,ソ連は1934年9月になってからである。さらに,アメリカはモンロー主義を掲げて,議会が参加を認めなかった。これらの点から,成立時より問題をもっていたが,1933年には,リットン報告を不服とする日本と,ヴェルサイユ体制の打破を主張していたヒトラーが政権をとったドイツが脱退し,1937年にはエチオピア問題からイタリアが脱退した。ソ連は1939年に除名された。

【問題点】ウィルソンの理念にもかかわらず,常任理事国を中心に,大国主義的で,国益をもちこむことが多かった。また,大国が一致して参加した期間はなかったといってよいくらいなので,超国家機関としての抑止力に乏しく,国際的な機関としての実質が伴わず,それがまた国益追及の場にさせていった。総会や理事会の活動は,原則的には全会一致であったので,1国の反対でも行動をおこすことができず,緊急の事態に対応することが困難であった。また,国際連盟は侵略国と認定した国に対して,経済制裁をとることだけを手段とした。エチオピア問題にさいして,イタリアに対してこれを発動したが,各国の利己的な行動もあって,事実上は制裁処置の効果をあげにくかった(この反省が国際連合では国連軍の設置になる)。こうしたことが,第二次世界大戦を防止できなかったことにつながる。国際連盟は第二次世界大戦後の1946年4月18日の総会において解散し,国際連合に役割を譲り,所有した財産も引き渡した。

〔参考文献〕P.ブラット,綜合アメリカ研究所訳『国際連盟の発展』

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