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●国際理解教育 こくさいりかいきょういく

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 国家間の協調を図り,国際社会の秩序と安定を求め,世界平和の樹立をめざすため,国家間の相互理解を深めることを狙った教育を国際理解教育という。この教育を世界的に提唱してきたのがユネスコ(国際連合教育科学文化機関)であった。そこでユネスコの国際理解教育に対する考え方の変化を通して,国際理解教育とは何かについて明らかにしてみたい。

 国際理解教育の必要性はユネスコ憲章の前文に明示されている。すなわち〈戦争は人の心の中で生れるものであるから,人の心の中に平和のとりでを築かなければならない〉ならびに〈相互の風習と生活を知らないことは,人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり〉という指摘は国際理解教育の根拠となった。このように国際理解教育は平和な心を養うことを目的として,諸民族の文化(「風習と生活」)を理解することを狙っている。

 1946年ユネスコ創設以来,国際理解教育は「国際理解のための教育」として推進された。教育をもはや1国の国家主義的立場からみるのではなく,国際的視野から考える方向に転換することができた。ところが,国際理解教育に国連とその専門機関,および世界人権宣言の理解を含めることになり,1952年その名称を「世界市民の教育」とした。しかし,世界市民という表現は世界国家の成員を意味しており,現実から遊離している。そこで,同年「世界共同社会に生活するための教育」に改変することになった。国際社会は主権をもった諸国からなるが,相互に関連をもち結合し合う共同社会としての性格をもっている。このように世界を共同社会とみなし,各人がどんな責任を負うべきかについて明らかにしようとするものである。このため,国際連合や人権に関する研究が中心となっていたが,発展途上国の文化の理解への配慮が欠ける面が指摘された。そこで,1954年名称を再びもとに近いものに改め,「国際理解と国際協力のための教育」とした。ここでは国際的な協同実験活動計画が行われ,主験の主題としては,「婦人の権利」「他国の理解」「世界人権宣言」が選ばれた。また,1956年第9回ユネスコ総会において,「東西文化価値の相互理解に関する重要事業計画」が採択され,10カ年の文化交流事業が始まった。

 このような世界的動向のもとに,わが国でも国際理解のための教育実験が協同学校計画のもとに1954年から開始された。研究主題は,「国際連合とその専門機関の研究」「他国の研究」「人権の研究」に集約された。研究活動の性格をみると,1954年から1964年にかけての10年間は,かなり高度な実験的教育研究が主流であったが,1965年以降になるとやや普及活動的色彩が強くみられるようになった。1970年ユネスコ本部において「国際理解と平和のための教育」の専門家会議が開かれた。ここでは,国際的教育実験の成果にもとづきこれからの国際理解教育のあり方が討議された。これによると,〈国際理解ということばは,文化的・社会的・経済的あるいは政治的なすべてのことがらについて国をこえた,あるいは国と国との間の関係にかかわりのある人間関係の複雑性と多様性を理解しうる人間の能力を意味する〉ものとし,さらに,「諸関係の全世界的な関連」「人類の福祉」を指摘している。1974年第18回ユネスコ総会は「国際理解,国際協力及び国際平和のための教育並びに人権及び基本的自由についての教育に関する勧告」を行ったが,これらの用語をまとめて「国際教育」という表現を用いている。ここではとくに文化的側面のみならず人類の存続,福祉にかかわる主要問題を含め現代的観点から取り上げている。