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●国際協調主義 こくさいきょうちょうしゅぎ

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 現実の国際社会にあって,それぞれの主権国家の独立性を認めつつ,国際的な対立や紛争を武力によってではなく,話し合いや歩みより,さらに一歩をすすめて協力し合うことによって解決し,よりよい平和な国際社会の実現をめざそうとする考え方を国際協調主義という。国際は国家を前提とする概念であり,近代的な概念といえるが,国と国,あるいは民族と民族との協調をはかろうとする考えは古代にもあった。たとえば,ヘレニズム時代の歴史家ポリビオス(前201?〜前120?)は,軍事力に優れるローマと文化的なギリシアとの協力を唱導した意味において,国際協調主義者であったといえよう。国際協調主義者の多くは,国際協調実現の手段として,なんらかの国際機構を計画する。ナントの勅令を発してフランスの宗教戦争を終結させたアンリ4世(1553〜1610)は,キリスト教国による連盟を「大計画」として唱えた。そして,国際法の父グロティウス(1583〜1645)は,1625年,『戦争と平和の法』を著して,国際主義に法的な基礎づけを行った。ついで,クウェーカー教徒ウィリアム=ペン(1644〜1718)は,1692年に「ヨーロッパの現在及び未来の平和」と題する論文をもって,ヨーロッパ議会の設立を提唱している。これを受けて,イギリス人ジョン=ベラーズ(生没年不詳)が1710年に『ヨーロッパ国家論』を著し,ヨーロッパ国家の分割とヨーロッパ議会設立の必要性を主張した。1713年には,フランスの僧侶サン=ピエール(1658〜1743)が「恒久平和の草案」を書き,当時のヨーロッパ24カ国の永久的同盟として全ヨーロッパ君主連合設立を提案した。ルソー(1712〜78)もまた,サン=ピエールの考えに興味を示している。これらの先駆者の国際協調主義に,明確な形で理論づけを行ったのが,哲学者カント(1724〜1804)である。彼は「恒久平和のために」の論文で,民主的共和国による国際機構こそ平和を維持できるものであると説いた。しかし,主権国家による戦争に明け暮れた19世紀には,国際協調主義の声はかき消されがちであった。第一次世界大戦が近づくにつれ,平和と国際協調への関心もめざめ,1889年にはパリ万国平和会議,1899年第1回ハーグ平和会議,1907年第2回ハーグ平和会議が開かれたが,いずれも失敗に終わった。第一次世界大戦を契機として,カント的な国際協調主義が,米大統領ウィルソン(1856〜1924)によって実現された。すなわち,国際連盟の設立である。国際連盟は,国際協調の機構としてはなお種々の欠陥をもっており,その努力にもかかわらず,ついに第二次世界大戦をくいとめることはできなかった。この反省の上に,第二次世界大戦後,国際連合が成立した。国際連合は,国際連盟に比し権限が大きく,機構もいっそう整っている。米ソの対立・南北問題など,厳しい現実の国際情勢のなかで国際協調をはかっている。

 各国政府間の協調は,それぞれの国民の支持を受けなければ成功しない。このことは国民教育の問題につながる。したがって,教育が国際協調主義を重視するように考える必要がある。国際協調のための教育は,国際理解教育といわれる。国際理解教育は,コメニウス(1592〜1670),ジュリアン(1775〜1848)など先駆者の思想を受け継ぎ,国際連盟下の知的協力国際委員会(ICIC)や知的協力国際機関(IOIC),あるいは国際教育局(IBE)などの試みをへて,今日のユネスコ(UNESCO,国際連合教育科学文化機関)により推進されている。

〔参考文献〕内海巌『国際理解教育の研究−ユネスコ国際理解教育協同学校計画を中心として』1973,第一法規出版