50音順    検 索

●五経博士 ごきょうはかせ

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国,漢の武帝の前136年(建元5)に置かれた。それまでに文帝のとき,詩の博士があり,景帝のときまでに書・春秋の博士もあった。「五経博士を置く」という漢書の記録の箇所にはこれ以上の何らの手がかりもないがこれを事実と認める限り,少なくともこの時点で易と礼の博士も置かれていていなければならないが,この点については不明である。さて五経博士の職分について漢書から読みとれることは,それから12年後の148年(元朔5)に太学が開設されたときに,太学に五経の講座を開いて弟子員に教授した。つまり学官になったことである。学官は各一経の講座を担当したのであろうが,その後,宣帝のとき学官が12人に増員されたとあるが,これは経書の講座数の増加があったことに伴うものであろう。広帝と平帝のときも講座数の増加と弟子員の膨大な増員があったが,学官の増員にはふれていない。後漢の初めに五経博士を立て各家法をもって教授させたが,講座数合計14博士であった。