●呉起 ごき
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中国古代の兵法家。紀元前5世紀から4世紀にかけて各国に仕えた。もとは衛の人。初め魯に仕えたが重用されず,魏の文候のもとで西河郡守となり,秦・韓の侵入を防いだ。性格は廉直で,負傷兵の世話を自らするなどして士卒の信望を得,彼を慕う兵は欣然として死地に赴いたといわれる。のちに魏の武候にうとまれて楚に走り,悼王に仕えた。王の支持を背景に,伝統的な貴族の勢力を抑えて内政改革を行い,法令を完備して不要の官を省き,軍備の強化につとめた。南は百越といわれる種々の少数民族を征服,北は陳・蔡といった小国を併合して中原の諸国を恐れさせた。しかし悼王の死の直後,彼を怨む貴戚に攻められ,王の遺体の上に伏したまま絶命した。呉起の兵法は戦国末から漢代に広く読まれたが,現在『呉子』として知られる書物は唐代の編さんにかかる。宋代,『武経七書』の一つとして盛んに出版され,日本にも伝えられている。