50音順    検 索

●呼韓邪単于 こかんやぜんう

アジア モンゴル国 AD 

 匈奴第14代の単于。生没年不明,在位前58〜前31年。奸計によって即位した第13代の可汗,アクエンクタイ※注1※単于の代になってから,匈奴内部では紛争が深刻化し,前58年には,呼韓邪単于を初め5人の単于が分立して勢力を争うことになった。ついで呼韓邪単于と兄の,シッシ※注2※単于との対立がつづき,やがて呼韓邪が敗退してシッシ※注2※が単于庭に都することになった。この結果,呼韓邪は意を決して漢朝に臣事するべきか,それとも伝統を堅持して百蛮の長にとどまるべきか,その去就に迷ったが,結局,前者を選ぶことにした。この直接動機は,匈奴の相対的衰勢にあるが,実際には『漢書』匈奴伝にみえる諸大臣の反対意見によっても知られるように,軍事や生活に窮して漢に依存しなければならなくなった,という緊急性はうかがわれない。彼が諸大臣の総意を抑え,あえて〈今,漢に事うれば,則ち存に安んず〉という方策を選んだことについては,匈奴社会における当時の華化的傾向と深いかかわりがあるように思われる。呼韓邪単于が漢に入朝するごとに,絹織物・穀物など莫大な賜与を得,とりわけ,王昭君和蕃公主として彼に嫁いでのち,種々の名目によりその額が一段と増加されていることなどは,間接的ながらそのことを物語っているのであろう。呼韓邪単于に始まる漢匈両国の親密関係を反映して,接壌地帯における交通が容易になり,公的または私的に漢の文物が広範囲にわたって匈奴に流入し,匈奴社会の華化的傾向に拍車をかけることになったことは,確かな事実である。

00