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●古賀精里 こがせいり

アジア 日本 AD1750 江戸時代

 1750〜1817(寛延3〜文化14)いわゆる「寛政の三博士」の一人として昌平黌の講壇にたち,思想・学問の統制に力を注いだ江戸時代後期の儒学者。通称弥助,名は樸,佐賀鍋島家臣の家に生まれる。横井小車に陽明学を,ややのち西依成斎に闇斎の学を修む。大坂に開塾し尾藤二洲・頼春水らと親交を深めて朱子学に転じた。藩士鍋島治茂に認められて藩政に参画。1781年(天明1)藩校の創立に預って学則を定め藩士の教育にあたったが,1791年(寛政3),招かれて幕府の昌平黌の講師。1798年に47歳で儒官となった。藩臣の身で昌平黌の幹部となったのは精里が初めてである。徂徠の学をしりぞけて闇斎の教説を進めたが,なお崎門にみられた固陋を排し,朱子学の振興に努めた。柴野栗山尾藤二洲と合わせ「寛政の三博士」といわれ幕府権内の再生をめざす改革の時運に適合,朱子学の再建に果たした役割は大きい。主著に『四書集釈』『近思録集説』,時局論の『極論時事封事』などがある。