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●古河公方 こがくぼう

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 足利持氏の子成氏の子孫が下総国古河に居住したので古河公方という。永享の乱の後鎌倉府の主人として迎えられた足利成氏は,関東管領の上杉憲忠を殺した罪に間われ,幕府方の今川範思に攻められて1455年(康正1)古河によったことからこの名称が成立する。成氏・政氏・高基・晴氏・義氏の5代続いたが,内紛が生じ,政氏の代には3分の1,末期には後北条氏の勢力下となり,門地格式のみは保ったが力はまったくなくなっていた。

 その契機となったのは,足利持氏が誅されたことにさかのぼる。関東管領家が絶えたので1449年(宝徳1)扇谷朝定らが室町幕府に申請して,持氏の子成氏をむかえたことにある。

 成氏のあと政氏が継いだが,子高基・義明(小弓御所)と不仲のため孫晴氏は後北条氏と結婚して反乱をし,第2次河越の戦いで監禁され,その子義氏は鎌倉へ幽閉され晴氏も再度反乱して,相州波多野に幽閉され,義氏のあとは鴻巣御所といわれ,まったく力を失っていたのが実態である。