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●五街道 ごかいどう

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 近世の国内陸上交通の主要幹線道路を五街道といい,幕府が整備につとめた。江戸を枢軸とし,品川−京都間53次の東海道,板橋−京都間69次の中山道,これに奥州街道甲州街道日光街道を加えたものが五街道である。幕府は封建支配強化のため武家の公用通行の便宜をはかり,主要街道に伝馬の設定,問屋場での人馬継立を行ってゆく。幕府が道中奉行を設けたばかりの1659年(万治2)ごろの信頼できる公刊道中記によれば,東海・木曽路・奥州道中についで水戸街道と北陸道が重要視され,甲州街道の記載はみられず,日光街道ものちの道筋と異なったものであったことが確実である。今日いう五街道は17世紀中ごろにはまだ確定したものではなかった。産業と都市の発達は,都市相互を結ぶ主要交通路を発展させ,幕府も甲州・日光両街道を入れた五街道と脇住還の整備に尽し,近郷からの助郷人馬の徴発は周辺農村に大きな影響を及ぼした。五街道の宿場のいくつかは今日なお,町場・一里塚・並木などを残す。