●古学派 こがくは
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江戸時代の儒学の流派。江戸幕府が官学として採用した中国の朱子学派を批判し,対抗して始められた日本独特の儒学を,一般に古学派とよぶ。朱子学は,朱熹らが編集した『四書集注』を最も権威あるテキストとして自然哲学・人生哲学および倫理・道徳を創造したが,古学派はこれらを主観的であるとして,孔子・孟子の原始儒教に帰ることを主張した。古学派に属する儒学者としては,江戸の山鹿素行と荻生徂徠,京都の伊藤仁斎がいる。直接に孔子・孟子の儒教を,客観的に自学自習することにより,江戸時代の士農工商の生活倫理を創造することに努力したのが,古学派儒学者たちの成果である。【古学】古学派という名称が学界で一般化したのは,井上哲次郎『日本古学派之哲学』(1902,明治35)以来のことである。古学という語は,中国漢代では,今文学に対する古文学を古学と称したが,江戸時代の古学という語は,日本独特のものと思われる。古学のことを,山鹿素行は聖学,伊藤仁斎は古義学,荻生徂徠は古文辞学といった。仁斎の全集が『古学先生文集』『古学先生詩集』と銘名されているように,門人および世間では,仁斎を古学の先生といっていた。これがしだいに一般化し,仁斎・素行・徂徠の儒学を一括して,古学派と呼ぶようになったようである。
【古学派の朱子学批判】朱子学は宋学・程朱学ともいわれ,北宋時代の末期,11世紀から12世紀にかけて周敦頤・張横渠・程明道・程伊川らの新注学を,朱熹が集大成したものである。新注学は,五経研究の古注学すなわち漢学に対し,『大学』『中庸』『論語』『孟子』を儒学の古典として新しく注解する。朱熹の『論語集注』『孟子集注科中庸章句』『大学章句』は,新注,すなわち朱子学の新しいテキストとして権威を持つようになった。朱子学はまた道学といわれるように,人間の実践道徳を明らかにする。これを仁といい,仁を実践する人間の姿勢を敬という。仁は,宇宙の法則である天理と根源を同じくする人間が,本来的にもっている性でもある。しかし人間の性は環境に支配されると,性の本来の姿である本然の性が気質の性に変化し,理性と本能の対立が始まる。気質の性を警戒するために敬を,本然の性を自覚するために誠を心がけるのが朱子学の人生哲学である。この二つの人間性は,その背後に理と気という宇宙の法則がある。朱子学はまた理気二元論ともいわれるが,江戸時代に林羅山が官学としてもちこんだ朱子学は,民衆を支配するための徳目倫理であった。朱子学の徳目は致知・格物・正心・誠意・修身・斉家・治国・平天下の8条目あり,現状維持・幕府権力への妥協・階級節度の制度化を意味する。1663年(寛文3)ごろ山鹿素行や伊藤仁斎が始めた古学は,幕藩体制の枠組の外にはみ出して発展しつつあった社会・経済・文化の傾向を,徳目倫理で制約することの無意味さを自覚し,もっと進歩的な実践理性を要求しようとするものであった。素行は,新しい倫理を直接孔子に求め『聖教要録』(1665,霊元5)・『四書句読大全』(1666,霊元6)を著して,『大学』と『論語』を日用彜倫の道とした。仁斎は,1662年(寛文2)に『大学定本』『中庸発揮』『論語古義』『孟子古義』を初めて『論語』を宇宙第1の書とした。徂徠は,一生かかって『論語徴』の稿を重ね,尭・舜・禹・湯・文・武・周・公ら中国聖帝を先王の道とした。
【古学派の倫理】素行の聖学は,江戸時代の階級節度の矛盾解決に苦心し,生産階級でない士階級を教化階級と規定した。赤穂義士に影響したように,士は教師でなければならないとした。仁斎の古義学は,1661年(寛文1)に同志会の集まりにあらゆる階級の人びとを網羅し,人間最大の幸福は交道すなわち社交であるとした。徂徠の古文辞の学は,文学・芸術を人間の最大幸福とし,また復古学ともいわれるように,先王の道を現代に生かすため,将軍吉宗に『政談』『太平策』を献呈した。