●香料 こうりょう
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【香料の起源】香料の語源が,ラテン語の「煙らせる」で,『旧約聖書』などからも推測できるが,古代には香りのある木,またはスパイスを燃やしたことを表している。古代には香木や樹脂の類が,東方からバビロニア・アッシリア・エジプトならびにイェルサレム(聖書の地)に運ばれた。バビロン(前20世紀から前5世紀ころまで世界最大の都市だった)は香料の市場であったが,その香料のすべては異国からもたらされたもので,バビロンの地ではつくられていなかった。古代の香料について述べている最も古い記録の一つは,前述の『旧約聖書』で,旧約の民は前13世紀ごろにモーゼに率いられてエジプトから脱出した民族なので,『旧約聖書』に出てくる香料の知識はだいたいエジプトから伝わったものとみられている。旧約時代の貴重な香料としては,乳香と没薬とナルドがあった。【乳香】おもに中近東・東アフリカのカンラン科の種々の植物の樹脂で,黄色のものもある。からい味がし,熱するとバルサムの香りを発し,燃やすと明るい煙を出す。『アラビアン=ナイト』の訳者として有名なエドワード=レーンは,『近代のエジプト人』(1836)で,エジプトにはそれを噛んで息に香気を与える風習があると伝えている。
【没薬】没薬は江戸時代に医薬品としてわが国に伝わった。ポルトガル語でミルラといっていたので,わが国でもミルラと呼ばれた。没薬(もつやく)は漢名である。古代には香料でも宝石でも,産地を出てからあちらこちらの仲介商人の手をへて末端に届いたので,それに関する神秘的な伝説には信用がおけないが,今日の植物学ではアラビアやエチオピアにみられる,トゲのある三つ葉の,ごつごつした低木の樹液とみられている。この木の皮から出る香りの強い油状の樹液が空気に触れて固まったものであろうといわれている。
【ナルド】ベタニアのマリアがそれをキリストの足に塗り,自分の毛髪で拭いたこと(「ヨハネ伝」第12章)でよく知られている。これも古代には産地がはっきりしていなかった。今日の植物学ではインドのブータンまたはネパールに産したカノコソウ属の一種だったとみられ,この草の根を煮て香りをとり,それを油に混ぜたものとみられている。
そのほか,聖書には肉桂(クスノキ科)・カッシア(同上)・サフラン・菖蒲・蘆薈(ろかい)などの記述がみえるが,肉桂・カッシア・菖蒲などはその香りをとってオリーブ油に混ぜて香油にしたことはナルドと同じで,初期には薫香も香油も,神への捧げ物として珍重され,私人の使用は厳重に禁じられていた(「出エジプト記」第30章)。
【香油】古代エジプト人の日常生活が比較的詳しくわかるようになったのは,ギリシアの旅行家たちがその地に旅行して報告を書くようになってからである。そうした旅行者のうちの代表者だったヘロドトス(前5世紀)は,その時代のエジプト人は香料をつくる最高の技術をもっていた,と伝えている。それをつくるのは神官の専業で,神殿の工場でつくられていた。エジプトの香料のつくり方は,イスラエル・ギリシア・ローマに伝承されたとみられているが,残っていない。すべては推測の域をでないが,R.J.フォーブスの大著『古代技術の研究』(9巻,p.92)によると,薫香を主とした香木や樹脂を別にして,花や果実を原料にした香油には三つのつくり方が行われていたとみられている。
【ギリシア・ローマ】ギリシアではホメロス(前800年ごろ)の時代に東方からバラ水が運ばれていたが,前7世紀ごろにはアテネでバラ水の過度の流行を防ぐため,その売買を禁止する法律がつくられたというから,そのころにはギリシアでもつくっていたらしい。ギリシア文化の高まったペリクレス時代(前5世紀)には,バラ水以外にマヨナラ(シソ科の植物)やブドウの花を水につけたものが記録に現れ,前4世紀の喜劇詩人アレクシスの書いたものによると,宴会で4羽の鳩にそれぞれ違った香りの水をかけて室内に放し,その羽ばたきで香りの水を霧のように発散させ,客の着物をしっとり濡らすのがモダンだったとされている。古代ギリシアの哲学者アリストテレスによる香気の研究や,アポロニウス(前1世紀の終わりの医師)の世界最初の『香料論』が現れたが,香水(この場合,花をしぼった液を溶かした水)をやたらに使うようになったのは,アジア征服(前1世紀)以後のローマ人で,前1世紀ごろにはローマの町におびただしい香料店ができた。当時最も多く消費されたのはバラ水とバラ香油(バラの香りをオリーブ油などに移したもの)で,国内産で需要が充たせなかったので,アラビア人やインド人がローマ領外からそれを持ち込んで莫大な利益をあげた。そのころからバラやユリの花を圧搾した液を「バラ油」ないし「ユリ油」と呼ぶ習慣が生じたが,今日いう本来の油ではない。
【動物性の香料】中世にはそれまでの植物性の香料のほかに,アラビアから動物性の香料の使用法がヨーロッパに4種類伝わった。[1]龍涎香これは中国の名称で,英語のアンバーグリースは古い時代に琥珀に似た灰色のものと呼んでいたのが語源。10世紀以前からモロッコ・アルジェリア地方で,黒人奴隷・黄金とともに最も利益のあがる貿易品だった。近年その成分が,牡のマッコウクジラの胃に生じる松脂に似た香料と考えられている。[2]麝香これは麝香鹿の牡の香嚢に含まれている香料で,主産地はチベットを主とする中国で,毎年1万の香嚢を輸出するとみられている。麝香はインドと中国で古い時代から知られていた。なまの麝香はアンモニアの香りがするが,この香りは時間がたつと消える。きわめて僅かの量を香水に加えると,それに“生命”が生じる。龍涎香も麝香も媚薬的なので極東や中東で古くから好まれ,いわゆるオリエンタル調の香水の基調をつくりだす。[3]霊猫香これは霊猫(麝香猫ともいう)の牡牝の生殖器の近くにある2個の小形の嚢の腺から分泌する液で,16世紀にアムステルダムで多数の霊猫を木箱に入れ飼育し,1週間に2〜3回分泌液を拭きとっていたという記録がある。霊猫は,キツネくらいの大きさで,毛皮は灰色で,黒い斑点がある。エチオピア・セネガル・ギニアに多く棲んでいるが,品種の違うものがジャワ・ボルネオ・スマトラ・ベンガルに分布している。[4]海狸香これは海狸の牡牝の薄い膜につつまれた小嚢の分泌する液が原料で,クリーム状の液であるが,日に当たると赤みがかった茶色の樹脂状の塊になる。主産地はソヴィエトとカナダで,そのほかカナダにはビーバーに関係のある麝香ネズミがいて,腹部の腺から麝香に似た香りを分泌する。
概して動物性香料は,香りが強く媚薬性である。花香などの急速に蒸発する香りに少量を混ぜると香りが長持ちする。霊猫香は17〜18世紀に,男性がタバコのいやな臭いを消すために,それの入った香水の手袋やハンカチーフを身につけることが流行った。そのほか,医学的に薬料としても用いられた。
【日本】わが国では,『日本書紀』推古天皇3年の条に,淡路島に沈香が漂着し珍重されたという記録がある。沈香とは水につけると沈む良質の香木(加羅)のことである。奈良期以降は仏教とともに香の使用が貴族層に流行し,香合わせ・香道などの優雅な遊事・芸事へと発展した。貴族間で香が愛用されていた様子は,たとえば『源氏物語』などの古典にうかがうことができる。とくに薫香と呼ばれて室内に匂いを薫らせる風や,衣服のたき物として使われた。当時の貴族は用を足すのが室内であり,入浴もたまのことだったので,恋愛上のエチケットとして香による匂いつけが必要だった,との奇説もあるが,娯楽の少なかった当時,嗅覚を刺激することで得られる慰みには格別のものがあったであろう。すなわち『枕草子』によれば,〈清水などにまゐりて,坂もと登るほどに,柴たく香のいみじうあはれなるこそをかしけれ〉(229段)と嗅覚の情趣を語り,かつ〈よくたきしめたる薫物の,昨日,一昨日,今日などは忘れたるに,ひきあげたるに,煙の残りたるは,ただいまの香よりもめでたし〉(231段)とあって,単なる匂いつけというより,香を使用する生活そのものを愛した雅な貴族たちの消息が伝わってくるからである。
話を民間に移すと,われわれ大衆は仏教を通じて香に親しんでいることが理解される。仏教では仏へのたむけに香をたくことが五種供養の儀式の一つとされて重要視されているが,この風が民間へも広まったもので,“仏壇へお線香をあげる”ことを経験したことのない人はないと思われる。また葬式のときにも,一つには遺体から発する異臭を防ぐためもあろうかと思われるが,死者へのたむけとして,通夜には香を絶やしてはならないとされ,参列者も焼香を行う。僧侶や在家信者には塗香と称して粉末状の香を身にまぶす風があるが,これは香が身の不浄を浄め,心識を明らかにする,と考えられていることによる。寺院のなかには匂袋を分けてくれる所もある。“香水”という語も元来,「仏像にそなえる匂いのついた水」の意味で,水か油に香りをつけたもののことだったのである。今日では,香水といえば,香りのエッセンスを上質のアルコールに溶かした揮発性の化粧品の一種のことをさしている。
【香辛料】嗅覚を刺激する植物の種子・葉などを乾燥したもので,料理に用いられ,味覚向上・食欲増進などの作用がある。香辛料は香料と同じく古代エジプトでの記録を最古とし,古代ギリシア・ローマですでにインド産の香辛料が愛用されたが,近世になって西欧人による香辛料貿易が活発化したのが,東西交流の一因となったほど需要の多いものだった。コショウ・ガーリック・タイム・ナツメグ・七味唐辛子・八角など,多種多様の香辛料が工夫され愛用されている。
〔参考文献〕春山行夫『おしゃれの文化史』1976,平凡社