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●功利主義(イギリス) こうりしゅぎ

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 この用語は人によってさまざまな意味で用いられているが,J.S.ミルが功利主義協会を設立し,『功利主義論』という著書を公刊するようになってから,一般にJ.ベンサムとJ.ミル・J.S.ミルの父子の思想をさすものとして使用されるようになったので,現在では,これが彼らの思想を意味する用語として用いられるのがふつうである。

【その思想】ベンサムは,自らのいうところによれば,イギリスのヒュームとプリーストリー,フランスのエルヴェシウス,イタリアのベッカリアから思想的に大きな影響を受け,その功利主義思想を体系化したのであるが,彼はまず,その処女作『統治論断章』において〈最大多数の最大幸福が正邪の基準であるという基本的公理〉を採用し,ついでその主著『道徳および立法の諸原理序説』において,快楽主義的人間観をうちだしている。それは同書の冒頭の次の1節に見出される。〈自然は,人類を苦痛と快楽という二人の主権者の支配のもとにおいてきた。われわれがなにをしなければならないかということを指示し,またわれわれがなにをするであろうかということを決定するのは,ただ苦痛と快楽だけである。一方において善悪の基準が,他方において原因と結果との連鎖が,この二つの王座につながれている〉。したがってベンサム功利主義思想の根本をなすのは,人間をできるだけ多くの快楽,すなわち幸福を求めようとし,苦痛,すなわち不幸をのがれようとするものととらえ,したがって人間行為の善悪は,それが快楽=幸福をもたらすか,あるいは苦痛=不幸をもたらすかによって判断されなければならず,そうであるがゆえに社会の幸福はできるだけ多くの人間ができるだけ多くの幸福を得ることによって実現されるとする考えである。そのさい彼は幸福の量を数学的に測定できるものと考え,いわゆる幸福計算を詳細に説いたのである。ところで彼は,当初,最大多数の最大幸福を実現させるためには,すぐれて法律の改革が必要であると主張していたが,しだいにその法律の改革のためには政治の改革が必要であると考えるようになって,急進的議会改革,すなわち普通平等秘密投票・一院制議会・議員の毎年改選を主張するにいたった。同時に彼は経済思想に関しては,原則として自由放任主義の立場にたった。以上のベンサム功利主義思想は,J.ミルとJ.S.ミルによって継承されたが,J.S.ミルは,『功利主義論』において,〈ある種の快楽はほかの快楽よりもいっそう望ましく,いっそう価値がある〉として,幸福の質には差があることを認め,それを量的にのみとらえるベンサムの考えを修正し〈満足した豚であるより,不満足な人間であるほうがよく,満足した愚人であるより不満足なソクラテスであるほうがよい〉という有名な言葉を残した。また彼はベンサムの政治改革に関する考えを継承しながら,『自由論』において,ベンサムの考えのおよばなかった「多数者の専制」を指摘,思想言論の自由の重要性を強調し,『経済学原理』では,自由放任主義の立場にたちながらも,富の分配を〈もっぱら人為的制度の上の問題〉としてとらえ,その改善を主張した。

【その影響】1824年ベンサムの出資によって創刊された「ウェストミンスター評論」をいわば機関誌とし,J.ミルを中心として,いわゆる哲学的急進派が形成されたが,これは功利主義思想の普及に大きな役割を果たしたばかりでなく,1820年代から1830年代にかけて,政治的には議会制民主主義の確立を,経済的には自由放任主義を主張して,自由主義の制度的具体化にも少なからぬ影響をおよぼした。第1次選挙法改正のさいに,議会の外で活発な運動を組織して,その実現に貢献したことは,そのうちでも特筆すべき例である。〔参考文献〕岩佐幹三『市民的改革の政治思想――ベンサムとイギリス急進主義研究序説』1979,法律文化社

山下重一『J.S.ミルの思想形成』1971,小峰書店

山下重一『J.S.ミルの政治思想』1976,木鐸社