●高力士 こうりきし
アジア 中華人民共和国 AD684 唐
684〜762 中国の唐代の宦官(かんがん)。嶺南(広東・広西両省一帯)の馮氏の出身。幼少のときに閹(えん,去勢者)となり,嶺南討撃使李千里によって宮中にすすめられ,宦宮の高延福の養子となって高姓を称した。景竜(707〜709)中,リンシ※注1※王時代の玄宗に仕えて,韋氏の乱平定,太平公主の排斥に功があり,内侍省の長官となった。玄宗の信頼厚く,臣下の上奏はすべて彼の所に提出され,小事は彼が決した。広大な土地を所有し,豪壮な邸宅を営み,碾磑(てんがい)で利益を収めるなど,権勢をほしいままにした。宇文融・李林甫・楊国忠・安禄山らは,いずれも彼と結んで地位を得,皇太子の李亨(のちの粛宗)すら,彼に兄事したほどである。安史の乱(755〜763)がおこると,玄宗に従って成都(四川省)にのがれた。760年,宦官の李輔国によって,巫州(ふしゅう,湖南省)に流され,762年に許されて都へ帰る途中に死んだ。唐代の史官柳芳の『唐歴』は巫州にいた高力士に開元・天宝時代のことを聞き,これによって完成されたものであるといわれる。
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