●孝明天皇 こうめいてんのう
アジア 日本 AD1831 江戸時代
1831〜66(天保2〜慶応2)121代の天皇。仁孝天皇の第4皇子。1846年(弘化3)に皇位につく。内治外交の多難な時期で難問題が続発した。天皇は一貫して攘夷を主張し,1858年(安政5),幕府が日米修好通商条約に調印するや天皇はこれに反対して2度にわたって譲位を表明したが,結局思い留まり,幕府へ攘夷を促した。一方,安藤信正の公武合体論を容れて,皇妹和宮の将軍家茂への降嫁に同意し,尊攘派を刺激した。1862年(文久2)から翌年にかけての尊攘運動の高まりと1863年(文久3)8月の大和行幸を機とする討幕挙兵の計画に苦慮し,8月18日の政変で朝廷内の尊攘派を抑えた。また1864年の長州藩の京都出兵を薩摩・会津の兵を用いて斥け(禁門の変),公武合体派の面目を保った。1866年(慶応1)12月,疱瘡にかかったが,快方にむかっているとき急逝した。公武合体論の天皇の急逝後,岩倉具視らの討幕派の公卿勢力が急速に高まったために,毒殺されたという噂が流れた。
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