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●光明皇后 こうみょうこうごう

アジア 日本 AD701 

 701〜760(大宝元〜天平宝字4)聖武(しょうむ)天皇の皇后。藤原鎌足(かまたり)の子不比等(ふひと)を父にもつ。本名藤原光明子(こうみょうし)。孝謙(こうけん)天皇の母。聖武の皇太子時代に妃となり,阿倍(あべ)皇女,後の孝謙天皇を生む。724年(神亀1)天皇が即位すると,夫人(ぶにん)の地位を得る。729年(大平1)には,臣下の女としては異例の皇后に立てられた。光明皇后は,深く三宝を崇信し,飢えたものに食を与える悲田院(ひでんいん),薬を病人に施す施薬院(せやくいん)を設けたりする。また国分寺の建立や東大寺大仏の造営にも深く関与している。749年(天平勝宝1),聖武天皇が退位し,娘の孝謙天皇が即位すると,その背後にあって権勢をふるった。紫微中台(しびちゅうだい)という官庁が置かれ,甥の藤原仲麻呂(なかまろ)が長官となり,大きな権限をもった。親筆『楽毅論』は,書の名品とされている。