●黄埔軍官学校 こうほぐんかんがっこう
アジア 中華人民共和国 AD
中国国民党が第1次国共合作のなかで国民革命を推進するため広東郊外,黄埔島に設けた軍事政治学校。国共合作と国民革命のプログラムに必須の軍事教育機関としてコミンテルン代表との接触のなかで孫文により企図された。蒋介石らをソ連に派遣し,赤軍と軍事学校を視察させたのち,準備委員会が組織され,一全大会に参加する国共両党員を通じ,学生の募集がなされ,1924年(民国13)6月16日開校式が行われた。校長は蒋介石,党代表はリョウチュウガイ※注1※,政治部(政治教育・宣伝など)に周恩来・汪精衛・胡漢民らが名を連ねた。最新の軍事理論と,技術の習得を目的とするだけでなく,孫文の三民主義・マルクス=レーニン主義の思想も教授された。講議後即実戦に参加するという知行合一の教育を柱とした。第3期までに2,259人の卒業生を出し,北伐に将校として参加し,革命を指導した。中山艦事件,4・12クーデタ以後,共産党員は排除され,1930年(民国19)第7期の卒業生をもって打ち切られた。
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