●河野広中 こうのひろなか
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1849〜1923 自由民権運動の代表的指導者。政治家。三春藩(福島県)の郷士。呉服・魚問屋・酒造業を営む商家の三男に生まれる。20歳のとき,戊辰戦争で新政府軍に協力し板垣退助を知る。維新後官吏となり,常葉・石川の区長となる。この間石陽社・三師社を創設した。国会開設請願運動の際片岡健吉とともに奉呈委員となり,愛国社・国会期成同盟の幹部となる。福島県会議長となった翌年の1882年(明治15),県令三島通庸と衝突して福島事件をおこし,軽禁獄7年の刑を受けた。第1回衆議員選挙に当選してから連続14回当選。創立以来自由党幹部として活躍したが,1897年憲政党分裂のとき,旧改進党系の憲政本党に属した。第19議会には衆議院議長となったが,桂内閣弾劾の奉答文事件をおこす。1905年には対露講和反対国民大会を開いて,日比谷焼打事件をおこした。1914年(大正3)大隈内閣の農商務大臣となり,のち憲政会の幹部として活躍,衆議院議員のままで没した。〔参考文献〕『河野盤州伝・上下』1923,編纂会
高橋哲夫『福島民権家列伝』1967