●公武合体 こうぶがったい
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江戸時代末期の政治運動の一つ。ペリー来航以来動揺をつづける政局を武家(幕府)は,公家(朝廷)の伝統的権威と結びつけることで収拾しようとする運動。ペリーが開国を迫ったとき,水戸学を理論的中心とする攘夷論が広く武士層の尊敬を集め,朝廷を含めた大きな勢力となり反幕的傾向を強めた。こうした尊王攘夷派に対し,幕府は孝明天皇の妹和宮を14代将軍徳川家茂へ降嫁させ,朝廷との融和・結合をはかることで発言力を強めようとした。長州藩を中心とする尊王攘夷派が先鋭化すると,薩摩藩らの公武合体派は幕府と組み,文久2年(1862)8月18日の政変で尊攘派を京都から追放した。将軍後見職徳川慶喜・越前の松平慶永・土佐の山内豊信・伊予宇和島の伊達宗城・薩摩の島津久光らを中心に一時主導権を握ったが,まもなく内部抗争から分裂した。やがて山内豊信・松平慶永を中心に公武合体は公議政体論として打ち出され大政奉還を実現したが,結局は倒幕派に敗れた。