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●鴻池家 こうのいけけ

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 鴻池家は尼子氏の家臣山中鹿之介幸盛を遠祖とし,その次男幸元(新右衛門新六)を始祖としている。清酒鴻池家において,下男がいたずらに濁酒のなかに灰をなげこみ,偶然に生まれたのが最初だという。また清酒の江戸おくりも鴻池新六の創始にかかるという。これは酒造家としての鴻池が製造販売においてめざましい新機軸をうちだして名声を博したことの傍証になるものである。元和期に大坂に出た鴻池の諸家のなかで,最も発展したのは新六の八男善右衛門正成の系統であろう。これは鴻池善右衛門家(今橋系)であろう。同家では三代目の善右衛門宗利のときは飛躍をとげ,鴻池新田を開発した。このころから鴻池は初期の酒造・海運業・商品取引から大名貨を中心とする両替業に専門化する。大名貸は危険もあったが,上手に廻し,ますます身上を大きくした。大坂両替屋の鼻祖天王寺屋五兵衛を手本にして行い,大名貸を単に消費貸借としてではなく,大名の蔵物売りさばきに関係する金融を行い,帳簿法にも新しい工夫をこらした。十人両替ともなり,大坂随一の両替商となる。しかし明治以後は十三国立銀行をおこし,繁栄した。しかし利貸や土地投資を専門化したが,生産や流通にはあまり関与せず,明治初期には三井の三野村利左衛門や住友の広瀬宰平のような指導的な人物を得ず,明治初期の政商化の過程でおくれをとった。