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●高度経済成長 こうどけいざいせいちょう

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 1955年(昭和30)ごろから,1970年代中ごろまでの約20年間に,日本経済は飛躍的な経済成長を遂げた。この時期を高度経済成長期という。

 1945年8月の太平洋戦争終結後,日本経済は復興と自立の道を歩み始めた,1955年は戦後経済最良の年といわれたように,実質10.8%の経済成長率を示し,物価水準はほとんど安定し,国際収支も大幅な黒字を示した。1956年に,政府の経済報告は〈もはや戦後ではない〉と記し,ここに,戦後の復興・自立の目標はほぼ達成され,高度経済成長の幕が開かれた。以来,1970年代の通貨危機石油ショックにいたるまで,平均して約10%の経済成長を遂げ,経済大国としての地位を築いていくこととなる。

 1954年11月に景気の谷を経験して後,1955年には “数量景気”と呼ばれる好景気が訪れ,物価は安定し,かつ経済成長率は高い水準を示した。この好況の原動力は,輸出ブームと大豊作に求められる。輸出ブームの典型であった船舶関係においては,1954年度輸出船受注が1.3億ドルであったのに対して,1955年度には5.2億ドルと飛躍的に増大し,受注量としては世界第1位となった。一方,大豊作に関しても,1955年の米生産は対前年比で3割を超える増加を示し,米の自給を可能とさせることとなった。この二つの要因は,金融を緩和・正常化させたのであるが,1956年には,資金需給が逼迫し,国際収支が赤字となるにいたって,数量景気は終焉することとなる。

 その後,1957年6月にいたるまで再び本格的な好景気にみまわれて,国内消費,投資が活発化する。俗に“神武景気”といわれる時期で,テレビ・電機洗濯機・カメラなど消費財が大幅に普及しはじめた。この時期の好況の原動力は,民間企業設備投資にあり,1956年度の伸びは,名目で57.6%,実質で48.2%と未曾有の数字を示した。先の数量景気においての輸出ブームが,この時期には投資ブームに転じたが,しかし,景気が加熱しはじめるにつれ,物価は上昇し,国際収支の悪化がみられるにいたって,政府は強度の金融引締め政策を敢行し,神武景気は終結する。

 1958年には“なべ底不況”と呼ばれる不況期を,いったん経験するが,同年6月より1961年12月にいたるまでの42カ月間の長期にわたって,実質で10%を超える経済成長をもたらした,いわゆる“岩戸景気”と呼ばれる大好況を迎えることとなる。数量景気・神武景気が日本経済を高度経済成長の軌道に乗せる役割を果たしたとするならば,岩戸景気は,その高度経済成長を持続させたという点に意義が認められよう。経済構造が労働力過剰型から完全雇用型へ移ったのもこの時期である。岩戸景気の特徴は,神武景気を上回る投資ブームによって示され,しかも投資が生産効果を生み,さらに投資を呼ぶというものであった。また,1960年7月に誕生した池田内閣の“所得倍増計画”や貿易・為替の自由化もこのブームに拍車をかけた。しかし再び,国際収支が悪化するに伴って,引締め政策がとられるや,不況に陥ることとなる。

 日本は,こうした高度経済成長を背景に,1964年4月にIMF(国際通貨基金)8条国へ移行し,OECD(経済協力開発機構)へ加盟し,10月には,東京オリンピックを開催し,国際社会における地位を著しく向上させたのである。

 1965年10月より1970年7月までの岩戸景気を上回る57カ月にわたる戦後最長の好況期は,“いざなぎ景気”といわれ,1966年度から1970年度までの5年間で実質経済成長率は平均11%を超える水準にまで達した。1965年にはGNPでは,アメリカ・西ドイツ・イギリス・フランスについで資本主義国第5位であったのが,1968年には西ドイツを抜いて第2位となった。しかも,本格的な財政・金融の引締め政策がとられたにもかかわらず,国際収支は黒字基調となり,先進国としての地位を築いていった。

 しかし一方では,高度経済成長の歪みも生じ始め,大気汚染・水質汚濁・騒音などの公害問題がクローズアップされ,〈くたばれGNP〉のことばに象徴されるような,物質的豊かさより,質的豊かさを求める声が強くなってきた。

 そして,1971年8月の金ドル交換停止・輸入課徴金設定を示した,いわゆる“ニクソン・ショック”による国際通貨危機や,1973年,79年の2度にわたる石油ショックによって,日本経済は高度成長から低成長への移行を余儀なくされてきた。

〔参考文献〕有沢広巳監修『昭和経済史』1976,日本経済新聞社

内野達郎『戦後日本経済史』1978,講談社

香西泰『高度成長の時代』1981,日本評論社