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●香道 こうどう

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 一定の作法で香をたき,文学的雰囲気のなかでそのにおいを鑑賞する芸道。

【香の伝来】日本に香が伝わったのは『日本書紀』595年(推古3)4月の条に〈沈水(ちんすい),淡路島に漂著(よれ)り,その大きさ一囲(いだき),島の人,沈水を知らずして,薪に交(か)てて(かまど)に焼(た)く,その烟気(けむり)遠く薫(かお)る,則(すなわ)ち異(け)なりとして之(こえ)を献(たてまつ)る〉とあるのが文献上の初見であるが,実際はそれより早く,1世紀半ばに仏教の伝来とともに伝わったと考えられる。沈水とは水より重い香木のことである。

薫物合(たきものあわせ)】当初,香はもっぱら仏前を清めるために供香(そなえこう)として使用されたが,奈良時代になると宮廷貴族のあいだで居室や衣服に香をたきこめる空薫物(そらだきもの)の習慣が始まり貴族生活に浸透していったが,やがて平安時代前期になって薫物合と呼ばれる遊びが行われるようになる。これは草合(くさあわせ)・貝合(かいあわせ)などの物合(ものあわせ)の一種で,銘を付した2種の薫物(香木を粉末にし,それに各種香料を加えて練り合わせた練香)の優劣を競うものであるが,においだけではなく,銘の適不適も判定の材料とされた。禅宗の発展とともに,鎌倉時代の末期から武士のあいだで香木をたく風習が始まり,室町時代になると香木でにおいの優劣を争うようになるが,その場合は名香合(めいこうあわせ)と呼ばれた。

 しかし薫物合も名香合も結局は優劣論に終始するので,やがてより奥行きのある深い組香が生まれてくることになる。

組香組香は2種以上の薫物または香木を組み合わせ,一定の主題をにおいの世界で表現するものである。たとえば花月香は,1種を花,もう1種を月と名づけた2種の香を3包ずつつくり,初めに花と月の試香(ためしこう)各1包を聞く(香道では“かぐ”といわない)。そのあと本包六つを包ごと混ぜ順不同にしてたき,その異同を鑑別するものであるが,組香においてはあくまで主題をにおいで表現すること,その世界を鑑賞することに重点が置かれ,勝負は主たる目的とはされない。組香の主題は多くの場合,和歌などの文学的なものが選ばれ,ここに香道と文学が結びつくことになる。組香は広く人々に受け入れられ,やがて薫物合にとってかわるようになり,現在では香といえば組香をさす場合がほとんどである。組香も初めは薫物で行われていたが,江戸時代になるともっぱら香木で行われるようになった。組香は現在に1,000種以上伝えられているが,そのうち最もよく行われるものはジッチュウ※注1※香・花月香・宇治山香・小鳥香・郭公(ほととぎす)香・小草香・系図香・源平香・焚合(たきあわせ)ジッチュウ※注1※・鳥合香の「古十組香」,名所香・源氏香・競馬香・サンチュウ※注2※香・矢数香・草木香・舞楽香・四町香・住吉香・煙争香の「中十組香」,花軍香・古今香・呉越香・元夕香・蹴鞠(けまり)香・鶯(うぐいす)香・六儀(りくぎ)香・星合香・闘鶏香・焚合花月香の「新十組香」で,合わせて「三十組香」という。

【香道の成立】室町時代の中期,香の催しが公家の世界から民間へ広まっていくようになったのに伴い,宮中の御香所の職にあった三条西実隆を中心に,志野宗信・京祇らによって作法体系が作られた。ここに組香を通じて文学とかかわり,香元手前(こうもとてまえ)を厳格にして礼儀作法を守る香道が成立し,以後公家側では三条西実隆を祖とし文学との関係を重視する御家流が,武家側では志野宗信を祖とし作法に重点を置く志野流が香道に重きをなすようになった。香道の基本規定は〈香合に出る身に薫物を禁ず〉〈巧者ぶりて末に聞くべからず,久しく聞くも無礼なり〉の2条とされる。香道は元禄年間に最も盛んになり,茶道・華道と並び称されたが,香木が高価で入手困難なため衰退に向かい,現在でごく一部の人のあいだでしか行われなくなった。

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