50音順    検 索

●香奠帳 こうでんちょう

アジア 日本 AD 

 葬儀に際し,霊前に捧げ供えるために喪家に贈られた金銭・物品を記録しておく帳面をいう。

 通常,喪家では香奠を受ける帳場をつくり,会葬者・弔問者から贈られた香奠を受け取る。その際,香奠帳に,普通,金高・物品名・住所・氏名順に記載する。香奠帳は現在は印刷されたものが市販されている。横長に綴じたもので,縦書きである。古くは和紙を折紙にしたものを綴じて用いた。

 香奠帳はいうまでもなく葬儀のたびに作成されるが,すべての香奠帳がその家に保存,伝えられるわけではなく,のちに述べるように,親類・近所・村内のつき合いの基準帳を示すものとして最新のものが保管された。また現在では税金対策上も葬儀の歳出帳とともに保存されることも多い。

 香奠は別名「香資」「香典」ともいう。しかし,香資は語義としては香を買う代金という意味であって本来的な意味とは異なる。現在では仏式だけでなく,神道・キリスト教などでも「御霊前」を贈り,霊前に花などを供えることをするが,香奠は仏事に由来する。

 仏教では仏を供養するには,華・塗香・水・焼香・飯食・燈明の六種供養がある。華は忍辱(にんにく),塗香は持戒,水は布施,焼香は精進,飯食は禅定,燈明は智慧をそれぞれ表す。そこから供養のために仏に供えるものを香に代表させて,香奠,さらには香典となったと思われる。

 香奠の大小は親類のものとほかの村人とのあいだに大きな隔りがあった。子供や兄弟は1俵香奠といわれるような義理の重いものであった。親類でない村人同士では村香奠といわれ1升程度であった。しかし,この場合でも親疎によって1升,2升などと区別があった。このような香奠は当然,上述のような死者の供養という意味があるが,他方,村落生活上の意味合いは,葬儀を行うと喪家ではたいへんな出費なのでその負担を少しでも軽減させてやろうとする扶助観念にもとづくものであった。事実,葬儀の運営は葬式組や町会,近所の人々によって執行された。

 香奠のこのような理解は本義から大分変化したもので,その民俗的意味は別のところにある。死者に対する民間の意識はこれを悲しむばかりでなく,死霊を祭祀すると同時に,これを穢れたものとみる面があった。この死穢観念は火と食物に集中的に表現された。すなわち喪家の火は穢れた火と観念され,その火によって調理された食物は忌むべきものとされた。それゆえ,近親のもの以外は喪家で料理された食物を食べることはしなかった。昭和初期の信州の村落の事例でも村香奠は金銭ではなく圧倒的に米や自家生産の食料が多かった。このように食料を香奠として持参するのは,村人が葬儀に合力しながらも,食事は近親者とは別火,別食するためその料を自ら持参するという性格が強く,けっして喪家の負担軽減が第1義ではなかった。したがって,古くは合力する村人は喪家の隣家などで食事をしたのであって,あくまで死穢を逃れようとしたものであった。

 しかし,死穢観念が薄れてくると,村人も近親者と一緒に喪家で食事をするようになっていった。こうなると,香奠から死穢をのがれるための持参食料としての性格は後退し,喪家の出費軽減という性格が強まり,贈り物としての意味をもつようになる。品物も米から金銭へと変化してくるようになる。現在はほとんど現金である。

 香奠が贈り物として観念されるようになると,贈り物の返礼,つまり“香奠返し”が行われるようになってきた。このような展開を経てくると香奠帳は単なる香奠物品の記録に止まらず,喪家にとっては香奠返しの台帳ともなる。そして何よりも親類・近隣・村人とのつき合い=義理の大小をはかる基準とされ,代々保管されたのである。

 香奠帳のこのような性格は社会学的・歴史学的な資料となりうるもので,その家の人間関係,および町や村の構造を知るのに有効である。