●公田 こうでん
AD
私田に対する語で,国家の直接経営によるかまたはその収入が国家の歳入となる耕作地をいう。周代に公田の名称が存したことは『詩経』小雅大田の句によって知られる。戦国時代の孟子は井田説を唱え,八家が100畝(1.9アール)の公田を共同耕作した収穫を租税にあてるべきことを説いた。大規模な水利灌漑事業が戦国諸国で行われ始め,ことに秦においては大量の田地が新たに肥沃な公田として民に貸し与えられた。漢の武帝期には新たな灌漑地のほかに告緡令によって没収されて公田が増え,これが帝室財源を増加させた。三国時代に内地に設置された屯田は公田の性格を有する。その後,南北朝時代をへて唐代には官田という名称が用いられるようになり,公田はこれに取って代わられた。
〔参考文献〕加藤繁『支那経済史考証上』1932,東洋文庫
増淵龍夫『中国古代の社会と国家』1960,弘文堂
木村正雄『中国古代帝国の形成』1965,不昧堂