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●皇荘 こうそう

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 明代の皇室所有の荘田の称。皇荘の名は1464年(天順8),宦官曹吉祥の没官地を各宮の荘田としたときに始まるが,その実は1425年(洪煕1)に宣帝によって設けられた仁寿宮荘にさかのぼることができる。社会的弊害をもたらした皇荘は諸王府の王荘であるが,それは宣徳年間に越王が昌平県に皇荘を与えられたことに始まり,正統年間になって一般化した。この皇荘は,当初は未就藩の諸王の在京中の歳費を補うものであったが,諸王が封国に赴いても官に返還しない風潮が生じ,皇帝の恩寵による賜田や,諸王が恩寵を頼んで皇荘賜与を強要する奏乞などが盛んになって,諸王府の皇荘は急速に増大した。皇荘は原則的には官田で,官糧則例の規制下にあるべきであるが,現実には諸王府が徴租権を掌握して寄生地主的大土地所有形態をとり,直接生産者に対しては過酷な収奪を行い,権力を背景に民田を強占する例さえみられた。1470年(成化6)には皇荘は租率を一定にして地方官の直接管理下に置くことが定められたが実効なく,その後も諸王府の皇荘は諸王府人口の増加とともに拡大する一方であった。明末には,福王府は2万頃(こう)の皇荘を万暦帯より与えられ,ロオウフ※注1※は4万頃の皇荘を所有するなど数州県にまたがる皇荘を有する王府も出現し,大土地所有者からの投献も集中して,皇荘の社会的弊害は著しくなっていった。清代には,これらの皇荘は更名田として内務府が管理するようになり,官荘と呼ばれた。

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