●勾践 こうせん
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?〜前465(在位前497〜前465)中国の春秋時代の越国の王。父の允常(いんじょう)のときから越は北隣の呉と戦っていた。允常の死を聞いた呉王闔閭(こうりょ),(在位前515〜前496,闔閭元〜19)は越に侵入してきたが,勾践はこれを迎え討って呉軍を破った。闔閭はこの際の傷がもとで没した。復讎を遺言された子の呉王夫差は2年ののち越軍を破った。勾践は余兵5,000人と会稽山(浙江省紹興市)にこもって許しを乞い,その後その臣范蠡とともに国力の充実につとめた。勾践は会稽の恥を忘れないために身辺に苦い獣の胆をかけてこれをなめ,また,自ら田を耕し,衣食を節し,賢人を尊び,軍士を養った。この間,呉王夫差は北方に進出し,黄池に諸侯を会して盟主となったが(前482,夫差14),勾践はこの虚をついて呉を攻め,太子を殺した。これから越の勢いはますます強く,しばしば呉を破り,前473年ついに夫差を姑蘇で包囲し自殺させ,呉を滅ぼした。勾践はさらに北進して,徐州に諸侯を会して盟主となり,覇王を称した。