●黄遵憲 こうじゅんけん
アジア 中華人民共和国 AD1849 清
1849〜1905 広東省嘉応州の人。字は公度。1877年(光緒3)初代駐日公使何如璋の参賛(書記官),1882年(光緒8)駐サンフランシスコ総領事,1890年(光緒16)出使英法義比四国大臣薛福成の参賛,1891年シンガポール総領事となる。日本滞在中,多くの日本の文人と交わり,また日本の政治・経済・文化などを研究,『日本雑事詩』2巻(1879)・『日本国志』40巻(1887)を著した。1894年(光緒20・明治27)の日清戦争勃発後,張之洞の要請により帰国したが,張之洞には冷遇されオウドウワ※注1※に接近,当時行われつつあった変法運動に参加した。1896年(光緒22),梁啓超・汪康年とともに上海で『時務報』を創刊,啓蒙活動につとめた。1897年5月湖南長宝塩法道となり,赴任後は署湖南按察使の任を兼ね,南学会・時務学堂・保衛局の設立に尽力し湖南の改革を推進した。戊戌政変後は政界から引退,郷里で教育活動に従事した。彼は詩人としても著名で,『人境廬詩草』11巻がある。また口語使用・文字改革の先駆者でもあった。
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