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●高坂昌信 こうさかまさのぶ

アジア 日本 AD1527 室町時代

 1527〜78(大永7〜天正6)安土桃山時代の武将。春日大隅の子。幼名源助あるいは源五郎,のち弾正と称した。名を晴昌・晴久・虎綱ともいう。16歳のときに武田信玄に仕えて近侍となり,1552年(天文21)戦功により士隊長となった。翌年信州の小諸城代となり,1556年(弘治2)には海津城に入り,上杉謙信の侵入に備えて川中島一帯の守りを固めた。1561年(永禄4)信玄に命じられて高坂家の家督を継いで高坂氏を称した。昌信は優れた軍略家として知られ,上杉謙信もしばしば川中島に侵入したが,海津城だけは攻撃をさけた。北信濃の守備役として昌信は長らく海津城にとどまり,領地も7万5,000石に及び,武田家の重鎮として重きをなした。1575年(天正3)武田勝頼が長篠の戦いに敗れると,昌信は海津城を出て伊那駒場で勝頼を迎え,撤兵の援護をした。晩年は武田家の家運の衰えるのを憂いたが,病を得て,1578年(天正6)に没した。過剰な慎重さのために“遁弾正”とあだ名された。